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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0264A01: 四月八日登增上寺閣 服元喬
J19_0264A02: 增上天宮百尺壇更攀層閣倚雲看龍華近捧垂珠樹雁塔
J19_0264A03: 爭懸承露盤雙闕江城連睥睨千帆總海入欄干坐疑金翅
J19_0264A04: 臨波浪欲擊南溟不可難
J19_0264A05: 豐太閤禁札 禁制 武藏國豐島郡增上寺
J19_0264A06: 一軍勢甲乙人等濫妨狼藉事
J19_0264A07: 一放火事
J19_0264A08: 一對寺家門前輩非分之儀申掛間敷候事
J19_0264A09: 右條條堅令停止訖若於違犯之輩者忽可被處嚴科者
J19_0264A10:
J19_0264A11: 天正十八年四月 朱印
J19_0264A12: 光明開昔
J19_0264A13: 玆に武藏國三縁山增上寺廣度院といへるは
J19_0264A14: 『善導大師觀經疏定善義廿八』云衆生起行口常稱佛佛
J19_0264A15: 即聞之乃至故名親縁也又云衆生願見佛即佛
J19_0264A16: 應念現在目前故名近縁也又云衆生稱念佛
J19_0264A17: 即除多劫罪乃至故名增上縁也已上此文によりて山
J19_0264B18: 寺號とす
J19_0264B19: 鎭西流の正嫡白旗派の傳塲にして一宗の大叢林たり
J19_0264B20: 慶元御開國の後は御當家御菩提所とし檀林御建立に
J19_0264B21: 及びては惣錄官制の魁首たり舊史淸記にのする處に
J19_0264B22: して由縁既に遠く聚成亦長し債往世の來由を考案す
J19_0264B23: るに二の説あり一には『山庫記』云其來由不詳第三
J19_0264B24: 十四世は酉譽上人也此時迄眞言古義を學ひて一本寺
J19_0264B25: なり子院數多ありて論議怠りなし故今猶論議の淸逸
J19_0264B26: なるも往世の高風なりとかや寺貝塚今喰違紀伊家彥根侯のあたりを合せ寺境
J19_0264B27: なりと云云 にふりて四百年餘其後日比谷の邊今の地なりに御
J19_0264B28: 造營被成下しと云云二には『或云』當山はもと貝塚に
J19_0264B29: あり開祖は宗睿大僧都なり僧都白山をはじめ北國東
J19_0264B30: 國に立こへ諸方に梵閣を建遊行弘敎ありし事釋書に
J19_0264B31: 出當山も其一にして年古甚遠し七堂伽藍双備の靈塲
J19_0264B32: たりしかど代代の戰爭に或は陣所とし或は破却せら
J19_0264B33: れ數代幽蔽たりしかれども敎燈は消ずして建武貞治
J19_0264B34: までも數十代佛塲たりしを酉譽上人是を改め興し淨

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