ウィンドウを閉じる

J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0241A01: とあるはみほとけのたうときことのみをときてその寺
J19_0241A02: のゆへよしをはさたかにいはすあるはゆへよしをは
J19_0241A03: ときたれとうけられぬこともおほかるに今此法師のも
J19_0241A04: のせられつるは御寺にあつかるかきりの事はかりそ
J19_0241A05: めのすちまても殘るところなくしるされたりされと
J19_0241A06: おほやけさまのことはははかりてへちに十卷のふみあ
J19_0241A07: りといへりかかれは御寺のたうとさも水くきのあと
J19_0241A08: に流れて後の世まても傳り侍らむこれしかしなから
J19_0241A09: 御佛のみこころにもかなふへきわさにこそをのれも
J19_0241A10: とし比あかすおもひしことたらひて法師のいたつき
J19_0241A11: をめてよろこへるあまりつたなきことの葉をくはふる
J19_0241A12: になむ『もしほ草かきあつめてそ四の海に三の縁の
J19_0241A13: 名はのこりける』檢校保己一
J19_0241A14: 三縁山志序
J19_0241A15: 三縁與東叡者。 國家陵廟之所在。而國主城主。日
J19_0241A16: 夜所經營。堂塔莊嚴。珠樹瓊林。傳譯三藏。未之
J19_0241A17: 視。衒之亦無錄。就中縁山者。 幕下歷世之法檀。
J19_0241B18: 開國最初之靈域。而眞宗總錄之學林也。 勅願之黄
J19_0241B19: 麻。 武恩之寵章。載在寶册。然而掃苔歳舊。除〓日
J19_0241B20: 久。建立之因縁。沿革之故實。人盡非阿禮。焉能記
J19_0241B21: 臆以臻乎後世。苟非筆刪定論纂爲志。則誰知不沒其
J19_0241B22: 典故乎。余居常以二山之志爲念。一日與壽山宮道君
J19_0241B23: 語及於此。君與縁山大僧正。有方外之衿契。以余志
J19_0241B24: 達于僧僧。正正曰。會下有攝門者。能熟知本山事
J19_0241B25: 實。與之相謀。則爲功速。而大省勞矣。余至於攝門
J19_0241B26: 和尚初相見。實文化丁亥七月六日也。和尚亦甞與余
J19_0241B27: 同業。既有成書。出示之。比之余所編。不及和尚之
J19_0241B28: 書萬萬。余終焚稿。其後往來。結蓮社之誼。頃日山
J19_0241B29: 志落成。編爲二十卷。寄余使命一言。夫四年前。既
J19_0241B30: 有成帙。厥後挍讐極至精微也。余復言何事哉。然和
J19_0241B31: 尚之於余。同社之交也。何可辭之。遂錄因由以報。
J19_0241B32: 文政改元冬十二月八日夜東埜源信充書于柳葊
J19_0241B33: 心の正しき人はなすわさもたたしく德のたかき人は
J19_0241B34: その藝もすくれたり三縁山の寮舍のあるし攝門和尚

ウィンドウを閉じる