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J2810 華頂誌要 華頂山編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0203A01: 祖師に疎く、百萬遍は其舊跡を轉して感懷深からす。
J19_0203A02: 獨り當院は靈廟嚴として其蹟を存す。是闔宗輿望の
J19_0203A03: 歸する所以にして、大永四年正月 後柏原天皇御忌
J19_0203A04: 鳳詔を超譽に賜ひて、
J19_0203A05: 知恩敎院者、淨宗創業道場、祖師入寂靈跡、遺敎
J19_0203A06: 布于海内、屬刹徧于國中
J19_0203A07: と宣示したまひしもの、蓋し當時民心の景嚮を明に
J19_0203A08: したまひしものと謂ふへし。
J19_0203A09: 是より宗運益益開發して、當院の興隆を促せしかは、
J19_0203A10: 天正三年九月 正親町天皇より毀破綸旨を賜はりて
J19_0203A11: 門末香衣の執奏を專管するに至れり。是諸國の末葉
J19_0203A12: 當院に隸屬するもの益益多きを加へ、 殆ど一宗の總
J19_0203A13: 本寺と稱すへき資格を具備せるに由らすんはあら
J19_0203A14: す。
J19_0203A15: 降りて德川氏に至り、外其援護と内僧衆の敎化と相
J19_0203A16: 待ちて、宗運隆隆として本宗の興隆昔日に十倍す。德
J19_0203A17: 川氏は元三河の出にして、其香花院と定むる所のも
J19_0203B18: の皆本院に屬し、且つ當院第廿五世超譽存牛上人高顯眞宗
J19_0203B19: 國師は其家門より出てて、夤縁極めて深し。而して其
J19_0203B20: 關東を領し、增上寺と師檀を約するや、增上寺また古
J19_0203B21: 來本院に隷屬す。是を以て慶長二年九月關東檀林の
J19_0203B22: 制度五條を當院より發し、家康公之に副簡す東西相呼應して本
J19_0203B23: 末の關係を明にし、關東寺院悉く當院に隷屬するに
J19_0203B24: 至れり。後德川氏天下を掌握するに及ひ、當院を恢
J19_0203B25: 興して大伽藍を建て、宮門跡を創めて一宗の法王と
J19_0203B26: なす。是より關東檀林に掛錫せるもの、所縁に隨ひ
J19_0203B27: て寺門を興す毎に、皆當院に隷屬せんことを求む。
J19_0203B28: 現存本宗寺院の大半は、實に德川氏の初期に創設せ
J19_0203B29: られしものなり。其後寬永年中西敎の變あり。幕府
J19_0203B30: 戸籍人別を擧けて之を寺院の管轄に皈せしより以
J19_0203B31: 來、 諸宗各各其本末寺籍を整備し、更に移動を許さ
J19_0203B32: す。是に於て本末の關係全く定まれり。
J19_0203B33: 寶曆十年の調査によるに當院嫡末二千九十二箇寺孫
J19_0203B34: 末曾孫末等四千八百四十二箇寺總計六千九百三十四

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