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J2810 華頂誌要 華頂山編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0202A01: 群集を制し、唯稱名の寶閣を人の信念に築かんこと
J19_0202A02: を勸めたまへり。
J19_0202A03: 道俗貴賤此の遺誡に感激して、益益淨敎の興隆を見
J19_0202A04: る。而して諸宗の謗難日に加はり、滅後二三十年間、
J19_0202A05: 迫害至らざるなし。遺弟の中花洛に留まるものは、
J19_0202A06: 籍を他門に寄せて其難を避け、然らさるものは、居
J19_0202A07: を僻陬に轉して其志を全ふせり。然れとも武威強迫
J19_0202A08: は以て永く此の大法の流通を禦くに足らず。御傳四
J19_0202A09: 十二に云はく。
J19_0202A10: 上人の歿後 順德院の御宇建保、 後堀河院の御
J19_0202A11: 宇貞應、嘉祿 四條院の御宇天福、延應、たひたひ
J19_0202A12: 一向專修停止の勅をくたさるる事ありしかども、
J19_0202A13: 嚴制すたれやすく、興行ととまりかたくして、遺
J19_0202A14: 弟の化導都鄙に遍く、念佛の聲洋洋として耳に滿
J19_0202A15: てり。これ豈に止住百歳の佛語むなしからすして
J19_0202A16: やうやく利物偏增の益をあらはすにあらすや
J19_0202A17: と。歷朝の念佛停止は皆諸宗の強請による是より全國到る處本宗精舍の興
J19_0202B18: 建を見る。其後敎外別傳の宗流行して、公武の歸崇
J19_0202B19: を博するに及ひ、禪者の中淨敎に快からさるものあ
J19_0202B20: り。爲に其興隆を妨けられし形跡なきにあらす。
J19_0202B21: 然るに室町時代に及ひ、時運の變遷に伴ひ連りに本
J19_0202B22: 宗の紹隆を促せり。此時に當り、談所關東に勃興し
J19_0202B23: て、雲衲四方より集まり、碩學各地に輩出して、敎
J19_0202B24: 勢日に加はる。又諸方の豪族之に歸して梵宇を營み、
J19_0202B25: 領土の安寧、歿後の冥福を祈らしむるもの多し。而
J19_0202B26: して是等の衆侶祖德を追慕して京師に來り、祖廟に
J19_0202B27: 詣てて眞影を拜し、深く遺跡の靈感に打たれ、永く
J19_0202B28: 當院に隷せんことを乞ひ、或は叢林愈愈大にして勅
J19_0202B29: 額を賜はり、勅願所に昇格せんと欲し、或は出世拜
J19_0202B30: 綸の光榮に浴せんと欲するもの、其執奏を洛中の本
J19_0202B31: 處に求むるの必要より、漸次に本末の關係を生する
J19_0202B32: に至れり。
J19_0202B33: 當時一宗の本寺と稱するものは、洛中に於て當院及
J19_0202B34: 百萬遍、淨華院の三山に過きす。中に於て淨華院は

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