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J2810 華頂誌要 華頂山編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0197A01: 九條の袈裟を下したまへり。又同七年八月には、開
J19_0197A02: 祖の御傳を叡覽ましまし、重寫の叡願をさへ起させ
J19_0197A03: たまへり。
J19_0197A04: 又 東山天皇は元祿十年正月開祖上人に圓光大師の
J19_0197A05: 徽號を賜ひ、 靈元天皇は寶永七年十一月宸翰「華
J19_0197A06: 頂山」の勅額を賜ひ、 中御門天皇は寶永八年正月
J19_0197A07: 開祖五百回忌に當り、重ねて東漸大師と諡し、法要
J19_0197A08: の中日二十二日には門主尊統法親王に詔して法筵を張り、
J19_0197A09: 大納言花山院兼濟等をして式に與からしめ給ふ祖忌の勅
J19_0197A10: 會此に始まる 桃園天皇は五百五十回忌に當り、寶曆十一年
J19_0197A11: 正月先忌の如く勅會を行はしめ、慧成大師の徽號を
J19_0197A12: 賜ひ、 光格天皇は文化八年正月六百回忌に臨み、弘
J19_0197A13: 覺大師と諡し、勅會を行はしめ、 仁孝天皇は天保十
J19_0197A14: 二年二月 先帝光格天皇の御遺品として、白銀花瓶及靑
J19_0197A15: 貝花臺を賜ひ、 孝明天皇は東宮の御時、弘化三年
J19_0197A16: 二月尊超法親王を請して、三歸十善戒及ひ日課念佛
J19_0197A17: を誓約あらせられ、翌年五月 先帝仁孝天皇の御遺品唐
J19_0197B18: 桑文臺及ひ硯凾を御下賜あり。安政四年閏五月當山
J19_0197B19: 二十五世超譽存牛に高顯眞宗國師の諡號を賜ひ、又
J19_0197B20: 萬延二年正月開祖六百五十回忌にのそみ、勅會を行
J19_0197B21: はしめ、慈敎大師の勅書を賜ひ、崩御の後慶應三年、
J19_0197B22: 明治天皇陛下より御遺品として靑銅花生及唐桑蒔
J19_0197B23: 繪文臺を下し賜へり。
J19_0197B24: 此の如く 皇室の殊遇と幕府の外護とに依り、中世
J19_0197B25: 以後百事舊慣古例を逐ひて、昇平の夢を結ひし本院
J19_0197B26: も、慶應三年正月 明治天皇御踐祚ましまし、十月
J19_0197B27: 德川氏大政を奉還して明治維新となるや、從來の制
J19_0197B28: 度文物悉く一變し、門主尊秀法親王御復飾ありて、
J19_0197B29: 知恩院宮廢絶に歸し、尋いて寺領を公收せられ、加
J19_0197B30: ふるに廢佛毀釋の聲囂囂として、本末相顧るの暇な
J19_0197B31: く、恰も敎法滅盡の期に到達せしか如く、一時混沌
J19_0197B32: の狀に陷りしと雖も、是れ偶偶獨立發展の一進路に
J19_0197B33: 過きすして、時運の推移は、從來關東檀林の獨占に
J19_0197B34: 委せし傳統附法の事再ひ本院に興り、却て闔宗敎化

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