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J2810 華頂誌要 華頂山編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0196A01: 集會堂、大小方丈、大小庫裡等悉く成る。結搆舊觀
J19_0196A02: に倍蓰し、絢爛目を奪ふ。現今の諸堂即ち是なり。
J19_0196A03: 靈巖上人又洪鐘を鑄造して遠く法音を傳ふ。同十八
J19_0196A04: 年江戸に赴きて造營を謝す。六月台命に依り、城中
J19_0196A05: に於て天下和順の法問を行ひ、恩賚極めて多し。是
J19_0196A06: より後寬文、元祿、寶曆、文化、萬延の諸度大修繕
J19_0196A07: を行ふ。皆幕府の經營にかかる。
J19_0196A08: 第三十八世萬無上人に及ひ、延寶六年三月圓山の地
J19_0196A09: を得て大鐘樓を現地に築き元假樓圓山の下岸に在り同七年幕府に
J19_0196A10: 乞ひ、祇園の社地南北十二間、東西百八十間を割き
J19_0196A11: て三門前の通路を開く。
J19_0196A12: 第四十三世應譽僧正の時、寶永七年阿彌陀堂を山上
J19_0196A13: より大殿の西に移し、廟堂を修理し、拜堂を立つ。
J19_0196A14: 是に於て當山の境域結搆ともに完成を告く。寬政三
J19_0196A15: 年の調査に依るに、寺域すへて四萬五千七百五十餘
J19_0196A16: 坪あり。
J19_0196A17: 上述の如く、本院は慶長以來德川氏の庇護を蒙ると
J19_0196B18: 共に、 皇室の殊遇を辱ふせること亦尠からす。當
J19_0196B19: 院歷代の住持台命に依りて上洛するや、着京の即日
J19_0196B20: 勅請紫衣の綸旨を賜はり、入院の後參内して 天恩
J19_0196B21: を謝し奉るを例とす。且つ年首其他慶吊の御事には、
J19_0196B22: 必す參内 天機を奉伺し、參内の節は他寺に混せす、
J19_0196B23: 別日に仰せ付らる。又第四十三世應譽上人以降大僧
J19_0196B24: 正に任せられ、緋衣着用を許さる。加之 後陽成天
J19_0196B25: 皇は屢屢彌陀の寶號を御宸筆ありて當院に賜ひ、
J19_0196B26: 後水尾法皇は御歸仰特に厚く、寬永八年十月靈巖上
J19_0196B27: 人に勅して、門中の長老二十人を率ゐ、院の御所に於
J19_0196B28: て彌陀超世別願の法問を行はしめ。同十一年五月に
J19_0196B29: は六波羅蜜の法談をなさしめたまふ。又寬文六年八
J19_0196B30: 月には、門主尊光法親王の開祖一枚起請文を聽講あ
J19_0196B31: らせられ、同年九月十五日、玄譽知鑑三十七世及ひ徒衆十
J19_0196B32: 五人を仙洞に召し、 後光明天皇十三回の國忌を奉
J19_0196B33: 修せしめ、尋いて廓然大悟得無生忍の法問を聽受あ
J19_0196B34: らせられ、叡感のあまり珍膳を賜ひ、後日女院より

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