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J2810 華頂誌要 華頂山編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0195A01: 地にあり等を悉く他處に移し、其跡を收めて中段に大御
J19_0195A02: 影堂、集會堂、大小方丈、大小庫裡等を造營し、下
J19_0195A03: 段には塔頭子院を設けしむ。是に於て當山の境域は
J19_0195A04: 上中下の三段より成り、北は靑蓮院に隣り、西は白
J19_0195A05: 川筋に沿ひ、南は圓山及ひ祇園神祠に接し、東は背
J19_0195A06: に華頂山を負ふ。前後七年を費して諸堂落成す、同
J19_0195A07: 十五年滿譽僧正十四年四月僧正法印に任せらる駿府及ひ江戸に赴き、
J19_0195A08: 造營を謝す。眷遇極めて渥し。
J19_0195A09: 慶長十二年家康公の奏請により、當院に宮門跡を置
J19_0195A10: かせらるることとなり、元和五年九月、 後陽成天
J19_0195A11: 皇の皇子良輔親王入室得度あり。良純法親王と稱す。
J19_0195A12: 幕府下段の北部に宮室を設け、門跡領千四十五石を
J19_0195A13: 附す。之より尊光法親王、尊統法親王、尊胤法親王
J19_0195A14: 尊峯法親王、尊超法親王、尊秀法親王相繼いて御入
J19_0195A15: 室あり。一宗の首座となりたまへり。
J19_0195A16: 又慶長二年九月滿譽僧正關東檀林の法度五條を定
J19_0195A17: め、元和元年增上寺觀智國師と淨土宗諸法度三十五
J19_0195B18: 條を議し、家康公之を制定して、當院及ひ增上寺に交
J19_0195B19: ふ。之より當院の事務は、京門中より役者六人を選ひ
J19_0195B20: 山内の役者と共に役所を組織し、一切を處理せり。
J19_0195B21: 元和三年將軍秀忠公乃父の遺志を繼き、三門及ひ經
J19_0195B22: 藏を經營し、五年落慶す、乃ち宋版一切經五千六百
J19_0195B23: 餘卷を經藏に納む。
J19_0195B24: 同六年六月滿譽僧正寂す。將軍秀忠公武藏國天嶽寺
J19_0195B25: 城譽をして其跡を繼かしめ、第三十世に補す。之よ
J19_0195B26: り後當院住持の進退は台命により、江戸城中に於て
J19_0195B27: 沙汰せらるることとなれり。
J19_0195B28: 慶長の恢弘より二十餘年の後、 明正天皇寬永十年
J19_0195B29: 正月九日、方丈より火を失し、大殿、方丈、庫裡等
J19_0195B30: 悉く烏有に歸し、阿彌陀堂、勢至堂、三門、經藏のみ
J19_0195B31: 纔に其災を免かるることを得たり。住持雄譽靈巖三十二世
J19_0195B32: 江戸に赴きて命を待つ。四月將軍家光公令して舊例
J19_0195B33: に凖し之を再興せしむ。片桐石見守貞昌等之を奉行
J19_0195B34: し、即年十二月工を起し、凡そ八年にして御影堂、

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