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J2810 華頂誌要 華頂山編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0180A01: 具足して今の世まて傳はりけるも又奇なり、よろし
J19_0180A02: く秘重して宗門萬代の規模にそなふへし」と勅諚あ
J19_0180A03: り。更に一本を重寫して門主尊光法親王法皇の皇子に賜
J19_0180A04: はるへしとて、延寶の頃先つ土佐常照、住吉具慶に
J19_0180A05: 畫圖を寫さしめ給ふ。丹靑未た半ならさるに親王示
J19_0180A06: 寂し給ひしかは、其御沙汰も終に止みけるとなん。
J19_0180A07: 近くは明治十五年十二月 明治天皇陛下叡旨を傳へ
J19_0180A08: て之を宮中に致さしめ、叡賞一週間に及はせたまへ
J19_0180A09: り。明治三十二年八月國寶に編入せらる。
J19_0180A10: 其他、御忌の鳳詔、遠忌の勅會等、皇室眷遇の優渥
J19_0180A11: なる、皆悉く祖德の顯彰に非さるなしと雖も、今之
J19_0180A12: を次章に讓る。
J19_0180A13: 第四 祖忌報恩
J19_0180A14: 開祖上人大漸に臨み諸弟を誡めて曰はく。「予か歿後
J19_0180A15: に於て孝養の爲に、圖佛、寫經等の善、浴室、檀施
J19_0180A16: 等の行を修する事なかれ。若し報恩の志あらは、唯
J19_0180A17: 一向に念佛すへし。平生の時自行化他唯念佛の一行
J19_0180B18: に局る。歿後の追修寧そ自餘の諸善を雜へんや」と。
J19_0180B19: 然るに法蓮房等世間の風儀に順して、中陰累七の作
J19_0180B20: 善餘法を雜ふ。是一は他宗の碩德を迎へて法儀を盛
J19_0180B21: にし、一は之によりて南北の猜疑を避くるにありし
J19_0180B22: と雖も、固より大師上人の志にあらす。大師は事に
J19_0180B23: 當り常に別時念佛を用ゐ給ひしかは、遺弟等大師の
J19_0180B24: 忌景を迎ふる毎に大谷に集會し、一七日別時念佛を
J19_0180B25: 興行し、以て報恩に擬するを例とせり。
J19_0180B26: 降りて足利氏の中世、大譽上人關東より入洛し、百
J19_0180B27: 萬遍及當山に住して、盛に宗風を宣揚するに當り、
J19_0180B28: 祖忌の法式整はさるを見て、其法則を定め、諷誦を
J19_0180B29: 製す。曲調典雅遂に永式となる。
J19_0180B30: 其後大永四年、大師滅後三百十三年 後柏原天皇當山祖忌の甚
J19_0180B31: た振はさるを軫念したまひ、現住超譽存牛上人第廿五世
J19_0180B32: 詔して、毎年正月京畿の門葉を當院に集め、一七日
J19_0180B33: 晝夜開祖上人の御忌を修せしめ給ふ。勅に曰はく。
J19_0180B34: 朕聞、挹流派者緬尋其源、愛枝葉者力培其

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