浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0174A01: | 聲に念佛し給ふのみ。法蓮房啓して曰はく。「古來の |
J19_0174A02: | 先德皆其遺跡あり。然るに今精舍一宇も建立なし。 |
J19_0174A03: | 御入滅の後いつくを以てか遺跡とすへきや」と。大 |
J19_0174A04: | 師答へて曰はく。「跡を一廟に占むれは遺法あまねか |
J19_0174A05: | らす。予が遺跡は諸州に遍滿すへし。いかんとなれ |
J19_0174A06: | は、念佛の興行は愚老一期の勸化なり。されは念佛 |
J19_0174A07: | を修せん所は、貴賤を論せす、海人漁人か苫屋まて |
J19_0174A08: | も、皆是予か遺跡なるへし」と。同二十三日宗要を |
J19_0174A09: | 一紙に認め、之を勢觀房源智に授く。所謂一枚起請 |
J19_0174A10: | 文是なり。同二十五日正午、慈覺大師傳來の僧伽梨 |
J19_0174A11: | 衣を着し、頭北面西にして光明遍照の文を誦し、眠 |
J19_0174A12: | るか如く入寂し給へり。世壽八十、臘六十六。實に |
J19_0174A13: | 皇紀千八百七十二年、 順德天皇建曆二年正月二十 |
J19_0174A14: | 五日なり。都下の道俗競ひ來りて、哭泣すること連 |
J19_0174A15: | 日市の如し。門弟等遺骸を石槨に納め、禪房東岸の |
J19_0174A16: | 勝地に葬り相議して廟堂を建つ。 |
J19_0174A17: | 大師一代の法語は、了惠上人集成して、漢和『語燈 |
J19_0174B18: | 錄』十八卷となし、一化の行狀は、舜昌法印勅を奉 |
J19_0174B19: | して『行狀畵圖』四十八卷を編せり。志あるもの必す |
J19_0174B20: | 就いて見るへきなり。 |
J19_0174B21: | 第三 祖德顯彰 |
J19_0174B22: | 開祖上人識德一朝に高く、化導四海に徧かりしかは、 |
J19_0174B23: | 在世滅後歷朝の崇敬淺からす。屢徽號を賜ひて其功 |
J19_0174B24: | を彰はし、或は行狀を錄して其德を傳へ給へり。即 |
J19_0174B25: | ち 後鳥羽天皇は文治四年慧光菩薩の號を賜ひ、 |
J19_0174B26: | 四條天皇は滅後二十三年天福二年華頂尊者と諡し、 |
J19_0174B27: | 後嵯峨天皇は滅後三十三年寬元二年正月十日通明 |
J19_0174B28: | 國師大和尚の宸翰を賜ひ、 後花園天皇は滅後二百 |
J19_0174B29: | 三十餘年淨華院等熙國師の奏請により、天下上人無 |
J19_0174B30: | 極道心者の嘉號を賜ふといふ。然れとも記錄明かな |
J19_0174B31: | らす。今此に悉くし難し。 |
J19_0174B32: | 又滅後三百二十八年 後奈良天皇天文八年八月、靑 |
J19_0174B33: | 蓮院尊鎭法親王の執奏により、光照大士と諡し、勅 |
J19_0174B34: | 書を當院に賜ふ。當時法親王の狀に曰はく。 |