ウィンドウを閉じる

J2810 華頂誌要 華頂山編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0174A01: 聲に念佛し給ふのみ。法蓮房啓して曰はく。「古來の
J19_0174A02: 先德皆其遺跡あり。然るに今精舍一宇も建立なし。
J19_0174A03: 御入滅の後いつくを以てか遺跡とすへきや」と。大
J19_0174A04: 師答へて曰はく。「跡を一廟に占むれは遺法あまねか
J19_0174A05: らす。予が遺跡は諸州に遍滿すへし。いかんとなれ
J19_0174A06: は、念佛の興行は愚老一期の勸化なり。されは念佛
J19_0174A07: を修せん所は、貴賤を論せす、海人漁人か苫屋まて
J19_0174A08: も、皆是予か遺跡なるへし」と。同二十三日宗要を
J19_0174A09: 一紙に認め、之を勢觀房源智に授く。所謂一枚起請
J19_0174A10: 文是なり。同二十五日正午、慈覺大師傳來の僧伽梨
J19_0174A11: 衣を着し、頭北面西にして光明遍照の文を誦し、眠
J19_0174A12: るか如く入寂し給へり。世壽八十、臘六十六。實に
J19_0174A13: 皇紀千八百七十二年、 順德天皇建曆二年正月二十
J19_0174A14: 五日なり。都下の道俗競ひ來りて、哭泣すること連
J19_0174A15: 日市の如し。門弟等遺骸を石槨に納め、禪房東岸の
J19_0174A16: 勝地に葬り相議して廟堂を建つ。
J19_0174A17: 大師一代の法語は、了惠上人集成して、漢和『語燈
J19_0174B18: 錄』十八卷となし、一化の行狀は、舜昌法印勅を奉
J19_0174B19: して『行狀畵圖』四十八卷を編せり。志あるもの必す
J19_0174B20: 就いて見るへきなり。
J19_0174B21: 第三 祖德顯彰
J19_0174B22: 開祖上人識德一朝に高く、化導四海に徧かりしかは、
J19_0174B23: 在世滅後歷朝の崇敬淺からす。屢徽號を賜ひて其功
J19_0174B24: を彰はし、或は行狀を錄して其德を傳へ給へり。即
J19_0174B25: ち 後鳥羽天皇は文治四年慧光菩薩の號を賜ひ、
J19_0174B26: 四條天皇は滅後二十三年天福二年華頂尊者と諡し、
J19_0174B27: 後嵯峨天皇は滅後三十三年寬元二年正月十日通明
J19_0174B28: 國師大和尚の宸翰を賜ひ、 後花園天皇は滅後二百
J19_0174B29: 三十餘年淨華院等熙國師の奏請により、天下上人無
J19_0174B30: 極道心者の嘉號を賜ふといふ。然れとも記錄明かな
J19_0174B31: らす。今此に悉くし難し。
J19_0174B32: 又滅後三百二十八年 後奈良天皇天文八年八月、靑
J19_0174B33: 蓮院尊鎭法親王の執奏により、光照大士と諡し、勅
J19_0174B34: 書を當院に賜ふ。當時法親王の狀に曰はく。

ウィンドウを閉じる