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J2810 華頂誌要 華頂山編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0173A01: 大師に歸するを允さす。
J19_0173A02: 然るに建永元年十二月 後鳥羽上皇熊野に行幸し給
J19_0173A03: ふに際し、上皇の宮女出でで東山鹿谷の別時念佛會
J19_0173A04: に參す。門人安樂住蓮等六時禮讃を諷誦するに、其音
J19_0173A05: 調哀婉にして人の感信を惹く。宮女忽ち發心し、安樂
J19_0173A06: 住蓮に就て度を受く。還幸の後之を彈劾するものあ
J19_0173A07: りしかは、 上皇大に赫怒し給ひ、安樂住蓮を捕へて
J19_0173A08: 之を斬に處せしむ。其累遂に大師に及ひ、建永二年
J19_0173A09: 二月大師七十五歳其度牒を褫ひ、俗名藤井元彥を附して、土佐國
J19_0173A10: に配流せしめ給ふ。道俗貴賤之を悲むと雖も、大師
J19_0173A11: 更に意とせす。「吾洛中に於て化導年久しと雖も、未
J19_0173A12: た邊土弘通の機を得す。平常之を憾とす。然るに今
J19_0173A13: 計らさるに此命を拜す。是頗る朝恩とも謂ふへし」
J19_0173A14: と。從容として化導を止めす。門弟の中之を阻む者
J19_0173A15: あり。大師色を作して曰はく。「予たとひ死刑に行は
J19_0173A16: るとも、豈に專修の事を談せすして止むへけんや」
J19_0173A17: と。辭氣激切、聽くもの感泣せさるなし。
J19_0173B18: 三月都を發して鳥羽の南門より乘船す。經ノ島、高
J19_0173B19: 砂、室ノ泊、鹽飽等、路次敎益を施し、讃岐國子松
J19_0173B20: の生福寺に留まり給ふ。配所土佐を讃岐に變せしは兼實禪閤の計による遠近傳
J19_0173B21: へ聞いて化を求むるもの常に群をなす。
J19_0173B22: 同年十二月、最勝四天王寺の落慶により、大赦を行
J19_0173B23: はる。大師亦勅免を蒙ると雖も、猶ほ洛中の往還を
J19_0173B24: 許されさりしかは、攝津國勝尾寺に入り、草庵を西
J19_0173B25: 谷に結ひて幽捿す。居ること四年。建曆元年七月
J19_0173B26: 後鳥羽上皇御夢想の事あり。藤原光親兼實禪閤建永二年四月
J19_0173B27: 五日薨去の遺囑により、切りに大師召還の事を奏す。乃
J19_0173B28: ち十一月十七日恩免の宣旨を賜ふ。
J19_0173B29: 靑蓮院慈鎭和尚、大師の入洛を聞き、使を發して之
J19_0173B30: を迎へ、洛東大谷の禪房に居住せしむ。道俗先を爭
J19_0173B31: ひて供養し、貴賤踵を繼いて來集す。此時參院して
J19_0173B32: 後鳥羽上皇に圓戒を授けたてまつる。
J19_0173B33: 翌年正月二日病に罹る。大師自ら大漸の近つけるを
J19_0173B34: 覺り、更に餘言を交へす、唯往生の一事を談し、高

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