浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J18_0514A01: | 而無益于劣機三密之行雖妙而不利于妄想。簡 |
J18_0514A02: | 易直捷普攝萬物者其惟念佛歟。我雖密徒從面 |
J18_0514A03: | 授於金峯權現。日課數萬無懈。可謂脱纒之徽猷矣。 |
J18_0514A04: | 師喟然而嘆曰於汝密林樸樕。且殊途揚鑣者非吾 |
J18_0514A05: | 徒。不可一日安居乎吾寺。從今去此勿亦來 |
J18_0514A06: | 也。即從坐起不復見我。我茫然撫塵作禮而去。 |
J18_0514A07: | 負笈携錫至于淺草西路談乃禱於大悲殿請指敎 |
J18_0514A08: | 明師。遂感開士之應。自抵鎌臺面謁僧正。僧正 |
J18_0514A09: | 曰汝來何晩。吾待久之。予拜爲模範』眞察大僧正傳僧正 |
J18_0514A10: | とは阿誰。華頂山四十九世稱譽眞察上人是なり。僧 |
J18_0514A11: | 正の傳に曰く『僧正。研究性相而荷擔南京圓成。 |
J18_0514A12: | 精曉雜華而推擧北都鳳潭。論頓宗則揮毫以 |
J18_0514A13: | 詆挫靈空議圓戒則擊節稱揚敬首。親愛大順 |
J18_0514A14: | 湛慧等釋家豪傑。子遷子囿等儒家英髦。蓋博涉八 |
J18_0514A15: | 宗約獵一家。乃則溫故義知新。治舊洿訂典 |
J18_0514A16: | 據。遂使學者鑑佛意鏡祖旨也。是故芝岳人傑多 |
J18_0514A17: | 生於衣下信吹眞徹素典、良義敎運等衆稱爲學母矣』以て僧正 |
J18_0514B18: | の造詣を曉るへし。僧正享保十一年芝岳學頭より出 |
J18_0514B19: | てて幡隨院に貫首たり。後弘經寺に轉し同十八年更 |
J18_0514B20: | に法旆を鎌倉光明寺に遷す。居ること六年。元文三年 |
J18_0514B21: | を以て晉んに華頂山を董し。住山八年を以て寂す。師 |
J18_0514B22: | の入室は其鎌倉卓錫の間に在り師か二十六七歳の時 |
J18_0514B23: | と爲す。是より爾后常に僧正の函丈に參する十年 |
J18_0514B24: | 許。讃仰一日の如く洒瓶遺すことなし。傍ら交を南 |
J18_0514B25: | 北の學匠に訂し。芬陀雜華の幽玄なる玉花大雲の精 |
J18_0514B26: | 緻なる南山少林の高朗なる皆な均く參究す。師自ら |
J18_0514B27: | 目して天魔外道と痛詆せる彼日蓮の宗義に至るまて |
J18_0514B28: | 涉獵せさるところなし。即ち其紫朱論に序して曰く |
J18_0514B29: | 『予甞遊甲之延山也九旬矣。師某上人講習宗 |
J18_0514B30: | 趣。孜孜入室乃裁稱題成佛論而去』其餘儒者國學 |
J18_0514B31: | の流武技諸禮の家。苟も一能に名あるの士は欵接請 |
J18_0514B32: | 益せさるなし。師か學問淵博文藻絢爛而も諸藝に堪 |
J18_0514B33: | 能なるは之を以てなり。是より先き師は恒に孤立絶 |
J18_0514B34: | 外なり。其の眞察僧正に附翼してより交遊旁午殆ん |