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J2740 仏定和尚行業記 大察・隆円 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J18_0333A01: 主。海譽祐月大僧正なり。師年四十九。老病をもて
J18_0333A02: これを辭すといへども。その命再三に及ぶ。このゆ
J18_0333A03: ゑに止ことを得ずして。この職に任ず。
J18_0333A04: 同五年乙巳正月廿一日。御忌唱導の任たり。此ゆゑ
J18_0333A05: に前年佛殿僧坊を修復す。莊麗美をつくし。依正一
J18_0333A06: 新せり。
J18_0333A07: 同七年丁未十二月十五日。師年五十四。老軀步行に
J18_0333A08: たへがたきをもて。都鑑の職を辭す。さてほどなく
J18_0333A09: 退隱せんとはかられしに。翌年戊申正月晦日。火洛
J18_0333A10: 東に發りて。京洛のこらず烏有す。平安遷都の後未
J18_0333A11: 曾有の大變なり。智惠光院此火にかかりて。佛殿僧
J18_0333A12: 坊方丈子院惣門等。一所も殘らず。皆灰燼に屬せ
J18_0333A13: り。ただ倉庫のみ此災をまぬがれしかば。幸に佛像
J18_0333A14: 經卷什具等は。悉く殘れり。師身心勇猛にして浮世
J18_0333A15: の無常。今さら何ぞ驚くにたらんとて。みづから衆
J18_0333A16: とともに瓧礫をはこび。土を荷ひ。かきを結ひ壁を
J18_0333A17: ぬり。先假殿東西八間南北六間をまうけ。佛像經卷を安置す。
J18_0333B18: 後大察補處するに及んで。造營善美かね盡せり。こ
J18_0333B19: れすなはち師資の功あたかも一人のごとくなれど
J18_0333B20: も。その實は師の地をなせるによれる也。
J18_0333B21: 寬政二年庚戌八月廿二日。ふたたび華頂都鑑の職に
J18_0333B22: 任ぜらる。昨年五十七。老步自由ならざるをもて。
J18_0333B23: しきりにこれを辭す。此ゆゑに同年冬十二月。華頂近
J18_0333B24: きところに。移住すべき命あり。これによりて本院
J18_0333B25: を弟子大察に補處せしめ。河東專念寺に轉住せら
J18_0333B26: る。すなはち第十六世なり。およそ師來迎寺を退か
J18_0333B27: れしにも。衣鉢の外餘長をたくはへず。一包飄然と
J18_0333B28: して上洛せらる。今また河東に移られしにも。資具
J18_0333B29: をたづさふることなし。みづからいはく。その寺に
J18_0333B30: ての衣類調度は。その寺にてうけし信施なれば。そ
J18_0333B31: の儘にさしおくべし。古人の樹下石上を思ふに。何
J18_0333B32: ぞ煩らはしく資具をもちはこふべけんやと。その淸
J18_0333B33: 素の風。實に古人の雅致ありとて。聞人皆歎伏す。
J18_0333B34: 專念寺は。天正年中。前田德善院僧正の開創。加藤

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