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J2640 厭求上人行状記 祐山 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J18_0079A01: 汝か法兄を思ふ未だ我病を知べからず滅後聞て定め
J18_0079A02: て慷慨せん汝爲にこれを告て再會淨土にありといふ
J18_0079A03: べしと因に法話云云。淨土の莊嚴及び神通快樂に至
J18_0079A04: りて感涙し歡喜してやまず。十日の夜左右の弟子の
J18_0079A05: 輩に命じて同音に稱名助念せしむ其後安然として睡
J18_0079A06: に就
J18_0079A07: ○十一日の曉天にいたりて俄に弟子を召し自から大
J18_0079A08: 衣を着し端坐して彌陀尊に向ひ左手に御手の糸を取
J18_0079A09: 右の手に磬を打高聲に光明遍照等の文を唱へ念佛す
J18_0079A10: る事數十返。又弟子をして磬を打しめ念佛する事數
J18_0079A11: 百返。即ち隨從の弟子を顧ていはく生涯我爲に孝養
J18_0079A12: を盡す予恒に歡喜すと。又惣門弟等に對し皆是迄と。
J18_0079A13: 手をあげ言畢りて高聲に十念し。猶又本尊に向ひ合
J18_0079A14: 掌して高聲念佛す。念佛の内自然に安詳として寂
J18_0079A15: す。寂後猶合掌亂れず容顏笑るに似たり。春秋八十
J18_0079A16: 二法臘七十なり。十二日の夜二更に弟子乃僧尼二百
J18_0079A17: 餘人遠方弟子の僧尼は未た知らざる故に來らず密に送りて華頂峯に荼毘す
J18_0079B18: 遺骨を十有餘所に分ちて塔を立禮敬するのみ十日の
J18_0079B19: 明天慶雲を東に見て師の寂すべき事を知り來て入
J18_0079B20: 滅に逢ふ者あり。十一日の曉天西より紫雲岡崎を貫
J18_0079B21: くを見て師の往生を知るもの有滅後に人人彼庵を呼
J18_0079B22: て厭求庵といふ本尊は座像。曼陀羅座なり是又師の
J18_0079B23: 作也房舍聖敎悉く月碩後改て寂照と云に附屬せられたり
J18_0079B24: ○伏見の里墨染村に妙壽といふ尼あり。隣家の處女
J18_0079B25: 死して蘇生し父母に告て云く。我極樂に生ず寶池の
J18_0079B26: 蓮花甚だ多きを見る。其内に一蓮花あり大にして未
J18_0079B27: だひらかず。一僧告て云く此は是京都厭求上人の蓮
J18_0079B28: 花なり彼上人の往生近きにあり汝往て是を告よとそ
J18_0079B29: れ故我歸り來りて告るなりと云畢りて永く死す。時
J18_0079B30: に正德三年閏五月なりその處女の父母未だ厭求とい
J18_0079B31: ふ名をだにしらず往て妙壽に語る。妙壽則ち洛の石
J18_0079B32: 川氏に告て以て是を傳ふ
J18_0079B33: ○又洛陽に願譽道白といふ者あり。河原町松原上る
J18_0079B34: 處嵯峨屋仁右衞門が父なり。正德三年九月十一日死

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