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J2640 厭求上人行状記 祐山 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J18_0072A01: 念佛一行超生死 善惡凡夫生淨土
J18_0072A02: 和合院又告て云く往昔師の敎化に依て念佛を修し往
J18_0072A03: 生を期すれども但稱一行を以て順次の往生を遂るの
J18_0072A04: 義疑なきにしもあらず。是故に或は法花經を讀誦し
J18_0072A05: 陀羅尼を持念し又は圓頓一實の觀をなして思ひを一
J18_0072A06: 心三觀の月に凝す。是を修しても修し得ず彼を行じ
J18_0072A07: ても行じ得ず。念佛を修すといへ共意未だ安穩なら
J18_0072A08: ず。然るに今再び敎化を蒙りて迷雲忽ち散じ疑霧永
J18_0072A09: く消す念佛の一行安心决定す順次往生掌を指が如し
J18_0072A10: 曠劫の大慶何事かこれにしかんと。云畢りて再拜
J18_0072A11: す。大衆も又一同に師を拜して去大衆の中に始めて
J18_0072A12: 發心して專修念佛の行者と成る輩又すくなからず。
J18_0072A13: 又大坊に於て翌日請に應じて説法云云す
J18_0072A14: ○師月山に登る。兼てより此山上に彌陀或は大日の
J18_0072A15: 來迎ありといふことを聞てこれを拜覽せんと欲す。
J18_0072A16: 此上に歸宿し終日念佛す。果して彌陀尊を拜見する
J18_0072A17: 事數度なり。弟子の輩も又これを拜す。然るに諸人の
J18_0072B18: 所見不同なり或は金色の像。或は影の如く薄墨色に
J18_0072B19: して分明ならず。或は丈六八尺或は極大極小何れと
J18_0072B20: も悉く輪光あり。或は又一向に拜見せざる者もあり。
J18_0072B21: 眞僞不審に岐にただよふ。師の云く機感佛應理趣必
J18_0072B22: 然なりこれを疑ふべからず。若信力によりて拜せば
J18_0072B23: 強ちに處によるべからず何くにありても拜見すべし
J18_0072B24: 然るに此山上に來迎ありといふ事は諸人深く信じて
J18_0072B25: 疑はず仍て拜することあるべき道理必然なり。その
J18_0072B26: 拜見せざるものは自の宿障によるべし。眞僞に至り
J18_0072B27: ては凡そ益ある事は皆是善なり益なき事は皆是惡な
J18_0072B28: り。妄りにこれを論ずることなかれと。時に當山の
J18_0072B29: 僧及び山伏諸國の山伏並に同行數千人堂下に群集し
J18_0072B30: て師を絶頂の拜堂に請じて敎示を願求す。師則ち説
J18_0072B31: 法すること數刻に及ぶ。其時一人の山伏忽然として
J18_0072B32: 師の前に立。大音聲を揚て云く當山は彌勒佛の靈塲
J18_0072B33: たり。未來成道して龍華會の節始めて此所に説法す
J18_0072B34: るを待のみ。若彌勒にあらずんば誰か爰に説法せん。

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