ウィンドウを閉じる

J2590 霊巌上人略伝 〓 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J17_0744A01: まへば勢至菩薩來現して善哉と歎す歡喜に堪へずし
J17_0744A02: て自ら尊像を彫刻す今寮舍に安置すまた三井の期妙は靈夢に
J17_0744A03: 驚てはるはる不動尊を負笈して下り今寮舍に安置す或は八幡
J17_0744A04: 宮を富賀岡に移して諸人參詣の便りを得せしめ鎭守とす
J17_0744A05: る事今尚爾り又或時は死刑の者八人を官に訴請て弟子とな
J17_0744A06: し小庵をたまわる今の八庵是なり寬永六年の秋本堂諸堂成就
J17_0744A07: せしかは本尊を佐貫の勝隆寺に迎へ奉り入佛供養一
J17_0744A08: 七日大法會を修行せられ自ら供養の塔婆を染らる此塔
J17_0744A09: 婆萬治元年の地に移せし時御自筆と云殊の外にて朽ぬる事惜く思う者多かりければ如何してかならんと衆議區なる時或人の夢に此塔
J17_0744A10: 婆地藏尊とあらわれ放光現瑞したまふと見る即發願して其塔婆を以一刀三禮に彫刻せり今地藏堂に安置の尊像是也同年の
J17_0744A11: 秋本山知恩院然譽上人遷化し給ひければ幹事參府し
J17_0744A12: て老中に後住を乞れしかは大御所大相國公に伺ひ奉
J17_0744A13: るに淨家惣本山殊神祖そのかみ都にて菩提所となし
J17_0744A14: 給ひ西國鎭護の道塲と定めさせられし故後住職靈巖
J17_0744A15: しかるべしと仰出さる其旨寺社監へ達せられけれは
J17_0744A16: 直に上人を召出され台命の旨仰渡さる上人御請申上
J17_0744A17: らるる時時服並白銀貳百枚を賜わる後住は西福寺正
J17_0744B18: 譽意天上人と定らる其後明曆三丁酉府内大火の節當
J17_0744B19: 山も類燒す第三世大譽珂山上人の代なり翌萬治元年
J17_0744B20: 三月深川今の地に三萬數千坪の替地をたまはりけれ
J17_0744B21: は大譽上人弟子珂碩等と十方の檀信を募り日あらず
J17_0744B22: して建立あり寬文五巳年嚴有院御所御代武州豐島郡
J17_0744B23: 葛西大島村にて五拾石新に御朱印を賜曾て開山上人
J17_0744B24: 御禮登城の時御黑書院にて台顏を拜せられしに遠路
J17_0744B25: の所老軀苦勞たるへき旨仰出されしかは上人も難有
J17_0744B26: 旨申上らる西城大御所家にも謁をたまい時服卷物白
J17_0744B27: 銀等を賜る其後御暇申上らるる時上意にて道中人馬
J17_0744B28: の御朱印を賜り永世本山の寺格となれりすでに東武
J17_0744B29: を發し東海道に赴十月中旬尾州名古屋に着あり國司
J17_0744B30: 大納言殿義直卿に謁し諸宗超過の旨鎭護國家の理を
J17_0744B31: 演説したまへは亞相君上人の高機卓絶凡ならさるを
J17_0744B32: 嘉譽し翌日宮の驛よりの乘船は國司の御座船をよそ
J17_0744B33: をひ出させらる是亦永格となる同廿日京着廿五日進
J17_0744B34: 山入院奇瑞多し參内あらせらるる砌女院御所へも招

ウィンドウを閉じる