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J2590 霊巌上人略伝 〓 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J17_0742A01: に參着またまた山川を越て伯州に出赤碕にて專稱寺
J17_0742A02: を起立し作伯兩國にて諸所に念佛弘通せられ出雲
J17_0742A03: へ移り朶村の別願院松江の極樂寺を開き發錫して石
J17_0742A04: 州三隅の庄に三祖の影像を拜し極樂寺を創めたたち
J17_0742A05: に長門に趣き下の關より豐前の小倉に渡海し負笈飛
J17_0742A06: 錫し筑後の善導寺に詣て七日眠りをのそき別時回向
J17_0742A07: 終て安藝に渡海し嚴島明神に法施を奉り元和四年花
J17_0742A08: 洛に到着あり高祖大師の廟に拜參し七日參籠し山主
J17_0742A09: 卍譽大僧正に謁見し十六日滯留あつて宗門疏抄の不
J17_0742A10: 審を談せらる華洛の結縁引つつき道俗の化益あまね
J17_0742A11: かりしかど伊勢山田に契約ありしかはまた彼地にを
J17_0742A12: もむき一宇を草創して松風山靈巖寺と號す旅行四年
J17_0742A13: 只祖蹟巡拜のみならず結縁の血脉數萬人佛神の靈感
J17_0742A14: いちじるし歸依の檀信諸國にみちけれは筆帋にもし
J17_0742A15: るしかたく見聞に洩こと多かりき唯高風本朝にあまね
J17_0742A16: く德名四海に高き事は人の知る所なりかくて上總の
J17_0742A17: 佐貫に歸着あり房州撿儀谷原の大勝院浦田の別願院
J17_0742B18: 上總に金谷村の本覺寺等を開基しまた千駄の稱念寺
J17_0742B19: 改派す上人自解内證幽深にして淨土往生の津を問に
J17_0742B20: は三心五念の船を浮べ給ひて道俗を誘ひ法門勸誡懈
J17_0742B21: り給わずその遑とては更にましまさざれともまた寺
J17_0742B22: 門を興したまふ事三拾餘ケ所中にをひて花頂山は再
J17_0742B23: 興中の魁首道本山は創建中の大基なりここにその草
J17_0742B24: 創を稽るに上人總房に弘化したまふ時都下の貴賤諸
J17_0742B25: 矦麾下の方がた歸依渴仰し各使者をしさ向られ請待
J17_0742B26: ありしかば折節出府して茅塲町の邊にかた斗なる草
J17_0742B27: 庵をむすばせられ説法敎化ありしに日增し群集して
J17_0742B28: 草庵狹けれは堀庄兵衞なる者つつきなる沼を向井將
J17_0742B29: 監殿に申受て上人御卓錫の地としけれは有信の男女
J17_0742B30: てんでに一簣を携へ先を爭ひうち運けれは日あらず
J17_0742B31: して平地となれり東西壹町餘南北貳丁餘頓て數百人を容べき假屋
J17_0742B32: を設けぬ頃は元和七年酉の秋なり同八年の春登城し
J17_0742B33: 兩君御目見の儀執行わる同九年於西丸大相國君秀忠
J17_0742B34: 公大將軍家家光公法門御聽聞あらせらる法則は一心佛

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