浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J17_0742A01: | に參着またまた山川を越て伯州に出赤碕にて專稱寺 |
J17_0742A02: | を起立し作伯兩國にて諸所に念佛弘通せられ出雲 |
J17_0742A03: | へ移り朶村の別願院松江の極樂寺を開き發錫して石 |
J17_0742A04: | 州三隅の庄に三祖の影像を拜し極樂寺を創めたたち |
J17_0742A05: | に長門に趣き下の關より豐前の小倉に渡海し負笈飛 |
J17_0742A06: | 錫し筑後の善導寺に詣て七日眠りをのそき別時回向 |
J17_0742A07: | 終て安藝に渡海し嚴島明神に法施を奉り元和四年花 |
J17_0742A08: | 洛に到着あり高祖大師の廟に拜參し七日參籠し山主 |
J17_0742A09: | 卍譽大僧正に謁見し十六日滯留あつて宗門疏抄の不 |
J17_0742A10: | 審を談せらる華洛の結縁引つつき道俗の化益あまね |
J17_0742A11: | かりしかど伊勢山田に契約ありしかはまた彼地にを |
J17_0742A12: | もむき一宇を草創して松風山靈巖寺と號す旅行四年 |
J17_0742A13: | 只祖蹟巡拜のみならず結縁の血脉數萬人佛神の靈感 |
J17_0742A14: | いちじるし歸依の檀信諸國にみちけれは筆帋にもし |
J17_0742A15: | るしかたく見聞に洩こと多かりき唯高風本朝にあまね |
J17_0742A16: | く德名四海に高き事は人の知る所なりかくて上總の |
J17_0742A17: | 佐貫に歸着あり房州撿儀谷原の大勝院浦田の別願院 |
J17_0742B18: | 上總に金谷村の本覺寺等を開基しまた千駄の稱念寺 |
J17_0742B19: | 改派す上人自解内證幽深にして淨土往生の津を問に |
J17_0742B20: | は三心五念の船を浮べ給ひて道俗を誘ひ法門勸誡懈 |
J17_0742B21: | り給わずその遑とては更にましまさざれともまた寺 |
J17_0742B22: | 門を興したまふ事三拾餘ケ所中にをひて花頂山は再 |
J17_0742B23: | 興中の魁首道本山は創建中の大基なりここにその草 |
J17_0742B24: | 創を稽るに上人總房に弘化したまふ時都下の貴賤諸 |
J17_0742B25: | 矦麾下の方がた歸依渴仰し各使者をしさ向られ請待 |
J17_0742B26: | ありしかば折節出府して茅塲町の邊にかた斗なる草 |
J17_0742B27: | 庵をむすばせられ説法敎化ありしに日增し群集して |
J17_0742B28: | 草庵狹けれは堀庄兵衞なる者つつきなる沼を向井將 |
J17_0742B29: | 監殿に申受て上人御卓錫の地としけれは有信の男女 |
J17_0742B30: | てんでに一簣を携へ先を爭ひうち運けれは日あらず |
J17_0742B31: | して平地となれり東西壹町餘南北貳丁餘頓て數百人を容べき假屋 |
J17_0742B32: | を設けぬ頃は元和七年酉の秋なり同八年の春登城し |
J17_0742B33: | 兩君御目見の儀執行わる同九年於西丸大相國君秀忠 |
J17_0742B34: | 公大將軍家家光公法門御聽聞あらせらる法則は一心佛 |