ウィンドウを閉じる

J2580 袋中上人伝 〓 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J17_0736A01: 居せんにはとて衣鉢を身に隨がへ渡口に出て船師黑
J17_0736A02: 助といふものの船にめされけり年來歸依の道俗おも
J17_0736A03: ひまふけぬ事なればあはて出たちかさなりて袖をひ
J17_0736A04: き手をとりいましばしととどめけれど上人更にみか
J17_0736A05: へり給ふ氣色もなし人人せんかたなくて行衞いつ國
J17_0736A06: とおもひさだめ給ふぞとたつねければ時に上人
J17_0736A07: いづみ川雲井の空にながれてし
J17_0736A08: いま行末は風にまかせて
J17_0736A09: と答へ給ふにおりふし風おこりて船は流のはやきに
J17_0736A10: したかひてとをざかりけるとぞ。
J17_0736A11: 上人それより續喜郡飯岡村に行き三の峯に上りて四
J17_0736A12: 方を眺望し給ふに亂山四面に圍み淸河遠く流る誠に
J17_0736A13: 紅塵不到の絶境にして沙門の棲息すべき勝地なり麓
J17_0736A14: の人かたりけるは往昔は精舍ありて殿堂いからをな
J17_0736A15: らべしがいまはかく荒涼の地となれりといひければ
J17_0736A16: 上人も感慨あさからずそののち奧林三良兵衞なるも
J17_0736A17: のとあひはかりて絶たるを起して再び僧居の地とな
J17_0736B18: し給へり今の西方寺これなり。
J17_0736B19:
J17_0736B20: 寬永十五年上人八十七歳の時三の峯に石佛三軀を刻
J17_0736B21: 立し給へり東の峯には藥師如來を安置し藥師經一部
J17_0736B22: を書寫して其の像の下に埋南の峯には釋迦文佛を安
J17_0736B23: 置して法華壽量品を埋西の峯には阿彌陀佛の像を立
J17_0736B24: て彌陀經を埋むさて十五日は彌陀感應の日なりとて
J17_0736B25: 毎月遠近の道俗花を折り香をたづさへて西の峯に上
J17_0736B26: りて彌陀佛を供養し奉る其の日は上人も彌陀佛の前
J17_0736B27: にて參詣の道俗に對して十念を授け本願の深意稱名
J17_0736B28: の巨益などこまやかに勸導し給ふそれよりながく恒
J17_0736B29: 格となりぬ。
J17_0736B30:
J17_0736B31: 上人其の年の冬のころより微疾に染みて氣力日日に
J17_0736B32: おとろへ眠食常にかへりがたければ終焉はどちかき
J17_0736B33: にありとおほしぬ翌年の正月十五日にはわきて彌陀
J17_0736B34: 參詣の人もおおくみなみな西の峯になみ居て上人を

ウィンドウを閉じる