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J2580 袋中上人伝 〓 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J17_0732A01: 化他のためにもただ本願稱名の行のみを縡とし給ふ
J17_0732A02: こと大師の本意にかなへるゆへなるへし。
J17_0732A03:
J17_0732A04: 元和五年の夏の比より洛北氷室山に移りて春秋を送
J17_0732A05: り給ふこれは伏原故二位歸敬のあまりに此地に請し
J17_0732A06: 給ふとなんまた同年東山菊ケ谷にも小庵をむすびて
J17_0732A07: 或時は氷室へゆき或時は菊ケ谷にかへり南北にかよ
J17_0732A08: ひて心のゆくにまかせて居住したまひき三年の後善
J17_0732A09: 曳西月等にいひて云菊ケ谷の草庵地をかへはしから
J17_0732A10: ん後には必魚を屠り酒を汲て歌舞遊宴の地とならん
J17_0732A11: もしここに跡をととめば我弟子にあらずとさればこ
J17_0732A12: の庵室を大佛殿のほとりにうつせり今の袋中庵是な
J17_0732A13: り。
J17_0732A14:
J17_0732A15: 元和八年上人七十一歳其夏南都諸伽藍を經過し佛像
J17_0732A16: 祖影を拜し杖を支へて眉目山の邊に憩給ふ佛事をな
J17_0732A17: すに便りよき勝地のありければ蕭寺を草創して降魔
J17_0732B18: 山善光院念佛寺となづくその北淨琉璃寺の殿堂破壞
J17_0732B19: に及ひけれは闕本の一切經をあかなひて修復せんと
J17_0732B20: 衆僧の評議一定しぬ上人これをきき使を遣し若干銀
J17_0732B21: を贈りて經典を奉請す後に脱卷逸帙の經論をば或は
J17_0732B22: みづから書寫し或は他をたのみて書寫せしむこれに
J17_0732B23: よりて經論かくることなく一藏全備せりその中に紺紙
J17_0732B24: 金泥の經論多し今南都念佛寺の藏本これなり。
J17_0732B25:
J17_0732B26: 上人七十二歳の冬城州相樂郡西尾九躰佛の邊に住居
J17_0732B27: し給ひけるに同郡瓶原といふ所に天神の宮あり寬永
J17_0732B28: 元年正月廿五日より上人一七日の間參籠ありけるに
J17_0732B29: 和光の方便にや此社のわたりに草庵をむすび朝夕神
J17_0732B30: に詣でで法味を捧けばやとおぼしけれは黑田新藏
J17_0732B31: 法名淨安といふ有信の人ききてやがて此山影の木だちも
J17_0732B32: いよやかなる處をゑらびて菴廬を經營して日日に供
J17_0732B33: 養の物なンどもちてはこびけり今の瓶原心光庵これ
J17_0732B34: なり。

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