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J2530 称念上人行状記 妙阿 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J17_0636A01: 道理にせまりただ涙をなかしあぢきなきさまに見て
J17_0636A02: 侍りけれは上人あはれみ一首の和歌を贈り玉ひぬ。
J17_0636A03: たちかへりふたたひものを思ふなよ
J17_0636A04: いつのわかれかうからさるへき
J17_0636A05: やかてわかれ玉ふ御念佛のいとたうとく身の毛もよ
J17_0636A06: たちて御名殘をおしみ坐しては拜し立てはおかみ遂
J17_0636A07: に御敎にしたかひ是非なく家路に歸りひたふるに示
J17_0636A08: 敎をまもり信心相續してあらかしめ往生の時日を知
J17_0636A09: り其日にいたりぬれは西に向ひ端坐合掌少もみたれ
J17_0636A10: すして往生の素意を遂しとなん其子孫今にいたりて
J17_0636A11: 樹敬寺の檀那なりとかや。
J17_0636A12: ○京師者師ハ衆也天子ノ所居多人集居故衆トイフ飛錫者出家ノ他鄕ニ移ヲ云即行脚ノ僧ナリ○掛錫者止ル所ヲ知テ止ルヲ云ナリ卓錫ト同シ安住セルヲ云ナリ○三秋者三年ナリ詩云一日不見如三秋○四輩者比丘比丘尼優婆塞優婆夷ノ四衆ヲ云也○マメヤカハ眞實ノコトナリ○電光石火者刹那ノ事ニシテ世間ノ無常スミヤカナルニ喩フ○アヂキナク者無爲無常無端無狀トモ書○村田氏ハ一本ノ古記ニ日ノ岡ニテ別レ玉ヒシトアリ○子孫今ニ至者詩云先祖是皇報以介福萬壽無疆トイヒ曾孫壽考受天祐イヘハ累葉ノタヘ
J17_0636B13: ス家名ノナガクツヅケルハ先祖ノ神佛ヲ敬ヒアシキ事ヲナサス貧キヲニキハシ人ノ難ヲスクフニヨルカユヘナリ又祖禰不了ナレハ殃ヒ兒孫ニ及トイヘハ善惡ノ報應ムナシカラズ福ヲ受ト殃ヲ得ト何ヲカトランヤ故邵康節モ善惡若無報乾坤必有私イヘリ如是事當感味スベシ。
J17_0636B14: 黑瀨氏觀世音の瑞告により上人に値遇の事
J17_0636B15: 同記云天文十六年の春漸花洛に至り給ひ黑谷にしは
J17_0636B16: らくおはしまし吉水は大師御終焉の地なれはとて知
J17_0636B17: 恩院に詣て玉ひぬ。
J17_0636B18: ○知恩院 吉水大谷ハ元來靑蓮院慈鎭和尚ノ山莊ナリ故ニ慈鎭和尚ヲ吉水和尚トモ稱シ奉リヌ又靑蓮院道覺法親王御居住有シユヘ吉水ノ宮トモ申傳フ其後元祖大師ヘ御寄附有テ大師居住ナシ玉ヘハ吉水上人ト稱シ吉水禪房大谷禪房トモ稱セリ北ヲ華頂山トイヒ東ヲ粟田山トイヒ西ヲ鶴林トイヒ南ヲ祇園林トテソノカミスヘテ靑蓮院御門主ノ境内ナリ古記ヲ考ルニ 人王九十代後宇多院御宇知恩寺智慧如一國師(鎌倉光明寺開山良忠上人ノ弟子如空ト號ス 後醍醐天皇勅シテ國師ノ號ヲ賜フ知恩院第八世也)知恩寺ヲ退キ當山ヘ移リ玉ヒテヨリ知恩院ト稱ス 人皇百一代後小松院ノ御時始テ知恩院ノ宸額ヲ賜(世ニ 後柏原院ト記セルハ違ヘリ)今ノ勢至堂是ナリ其後應仁ノ亂ニヨリテ甚衰微シケレハ大師御忌ノ會式モ年ヲ經ニ隨ヒ〓廢ニ及ヘリ上人是ヲカナシミ玉ヒテ資糧ヲ扶助アリテ七日七夜自勤メ玉フ是ニヨリテ今ニ其軌則

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