ウィンドウを閉じる

J2520 湖東三僧伝 信冏 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J17_0621A01: らばなんど仰られけるが長享元年將軍と佐佐木との
J17_0621A02: 中に事ありて將軍義政公新將軍義尚公當國栗太郡鉤
J17_0621A03: に陣どりし給へり時に當山の屬院にも多く火をかけ
J17_0621A04: 給はんときこへければ住持のやからおのおのあはて
J17_0621A05: さわぎて師にこれをなげき侍るに師鉤へ供奉したり
J17_0621A06: ける甥の結城七郞へ消息つかはされしかば七郞大に
J17_0621A07: おどろきこはいかに今なほ世におはするよとて馬を
J17_0621A08: 當山にはせ來たられぬ師對面ありて申されけるはそ
J17_0621A09: れ一朝の利に寺社をやき尋で亡ぶる者古より少から
J17_0621A10: ず汝君の爲にはやく長久の謀を奉るべしとありけれ
J17_0621A11: ば七郞すなはち退出し將軍へかくと披露しけるにき
J17_0621A12: こしめし入給ひて放火停止の嚴命下だりければ道俗
J17_0621A13: ともに蘇活のよろこびをなしぬ、爰に師御陣にゆき
J17_0621A14: てこれを謝し給へるに父子の將軍幸に道を師に問た
J17_0621A15: まひ、やがて圓戒をうけ課佛を誓ひまして崇重比類
J17_0621A16: なかりけり、ここに師年ごろつつみ給へる族姓も遁
J17_0621A17: 世の因縁も世にもれきこえて今更のやうに感じあへ
J17_0621B18: ぬ人はなかりけるとなん、かくて義尚公師の道儀を
J17_0621B19: 後土御門の院なり明應九年九月二十八日崩御し給へりこれより毎歳御忌に法事をつとめ天恩にむくひ奉るなりへ奏聞
J17_0621B20: し給ひければここに黑衣參内特勅の綸旨を賜り、し
J17_0621B21: きりにめされて淨土の法をきこしめし大方ならぬ御
J17_0621B22: 信受にてぞありけるこれより天文の頃までは代代の住持も黑衣參内せりと古記に見ゆされ
J17_0621B23: ば長享二年當山へ閻浮檀金の彌陀佛念佛弘通の綸旨
J17_0621B24: 淨嚴宗の號、宸翰の阿彌陀寺の額及び香合を賜りぬ
J17_0621B25: 天正九年十月七日の曉更失火して諸堂ことごとく炎上しけりこの時宸額等も紛失せり、慶長二年 後陽成院又宸翰の阿彌陀寺の額を
J17_0621B26: 賜へり、今佛殿に揭る額これなり又回祿より元和のころまで再興の功いまたはたさざる處ありしに、丹州の大守宮城丹波守豐盛及び主
J17_0621B27: 膳正豐嗣の沙汰として造營こと終りぬ、今の佛殿等これなりかく盛になりもてゆくほど
J17_0621B28: に門弟千餘、子院六宇、屬院數百屬院の中師の剏建も多く又師に歸し宗を改めて屬
J17_0621B29: 院となれる寺も少からずに及びしとぞされど師の一期は墨染の麻
J17_0621B30: の衣にてぞおはしけるかの黑衣參内の勅もかかる隱
J17_0621B31: 操を御感のあまりにや侍らん一日師仰せられけるは
J17_0621B32: 古語に小寒の氷大寒にとくるは春のちかきゆえなり
J17_0621B33: 老て道心の綏むは地獄のちかきゆゑなりとこれわが
J17_0621B34: 身にいたき誡なりとて寺務を一圓他に托しかの谷の

ウィンドウを閉じる