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J2520 湖東三僧伝 信冏 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J17_0620A01: 俵藤田秀郷公十五代の後胤丹後の國結城孫七左衞門
J17_0620A02: 大系圖拾六卷には彌七左衞門に作れり祐廣とて將軍源義政公に仕へて處處
J17_0620A03: の戰功に忠を盡し譽を擧たまひしがいかなる宿善の
J17_0620A04: 内に綻びけるにや三十二歳の合戰に先祖なる結城上
J17_0620A05: 野入道道忠が武勇に誇り地獄に落し事を太平記に委し我身
J17_0620A06: にひしと思ひ合せしきりに世をそむかばやとためら
J17_0620A07: ひゐ給ひしが或日一騎當千に戰ひせし後かへり給は
J17_0620A08: ざれば御方には討死にし給ひけんといぶかりてぞあ
J17_0620A09: りけるこのまぎれにあとをくらましさるべき師やあ
J17_0620A10: るとここかしこ尋ねあるきたまひしに或修行者に行
J17_0620A11: 逢たまひぬ修行者師に彌勒尊を進らせ當山に傳持せり御邊は
J17_0620A12: 湖東なる金勝山の淨嚴房へ峰の草庵を開山の滅後なほ通名に淨嚴房といへり後當山をも淨
J17_0620A13: 嚴房と稱せりゆき給へといへばこれをしるべにて氏族を深く
J17_0620A14: つつみ谷の房に入り即峰の草庵なりつひに隆阿上人の弟子と
J17_0620A15: なり給へりかくて常にうち涙ぐみ稱名の外餘念なか
J17_0620A16: りけるとぞここに年ふりて上人師に宗義を傳授し房
J17_0620A17: 舍を附屬し幾程なく滅をとりたまへば師その跡をつ
J17_0620B18: いで化を唱へ給へりここに佐佐木高賴深く師に歸し
J17_0620B19: て外護となりあまた田園を喜捨し元龜年中信長公沒收したまひぬ精舍
J17_0620B20: の造立を促し給へば師幸にかの開山の草創し給へる
J17_0620B21: 東坂の庵を擴き大に殿宇を起しもとより本尊に仰ぎ
J17_0620B22: 奉る天照佛のゆかりをもて阿彌陀寺と名づけてここ
J17_0620B23: に開山の遺法を中興し文明十八年丙午四月十五日の
J17_0620B24: 曉天新殿において不斷念佛六時常行を開白し又同し
J17_0620B25: 九月開山忌を起首し給へりかくてここかしこに屬院
J17_0620B26: 多くなりて一方の巨刹とはなれりけりされば師明應
J17_0620B27: 元年淸規文卷尾に附すを製し衆をして法訓に遵はしむ師人
J17_0620B28: を見給へば後世もまた他人ならじ今にも死なばいか
J17_0620B29: かはし給はんそれ極樂の道は人をわかずただ申もの
J17_0620B30: の往生はするなりとて日課念佛をすすめ其名を呑鉤
J17_0620B31: 錄に記し給ふそのかづ幾千萬人といふことをしらず中
J17_0620B32: にはまのあたり異香をきき聖衆をおがみて往生する
J17_0620B33: 人も多かりしとなんしかるに將軍かくとは露しりた
J17_0620B34: まはで事に莅み折に感じたまひてはもし祐廣世にあ

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