浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J17_0619A01: | 藏すべし。 |
J17_0619A02: | 安心とは歸命すなはち助給へなり。 |
J17_0619A03: | 起行とは南無阿彌陀佛なり順彼佛願故。 |
J17_0619A04: | 用心とは念死なり出息不待入息。 |
J17_0619A05: | 法印山〓の口號の歌 |
J17_0619A06: | 谷深く栞りせで入太山哉うき世に歸る道は忘ると。 |
J17_0619A07: | 遁れ來て身をおく山の隱家に心もすめと夕嵐かな。 |
J17_0619A08: | たちよりて影もうつさじ流てはうき世に出る谷川の |
J17_0619A09: | 水。 |
J17_0619A10: | 神もみよ佛も照せわが心後の世ならで願ふ日もな |
J17_0619A11: | し。 |
J17_0619A12: | 世のうさにかへぬる山の隱家をとはぬは人の情なり |
J17_0619A13: | けり。 |
J17_0619A14: | 第二世堯譽隆阿上人は當國野洲郡小濱の産父は浦野 |
J17_0619A15: | 氏母は布施氏開山法印の嫡弟なり文明十三年辛丑九 |
J17_0619A16: | 月七日巳刻行年六十九金勝寺の草庵に目出度往生し |
J17_0619A17: | 給へりその夜美濃國郡上の栗栖の道塲の時衆上洛の |
J17_0619B18: | かへさに當國守山の守山寺にとまりて住持の聖にか |
J17_0619B19: | たりて今朝枝村金勝山の北二里ばかりにある枝村なるべしの宿をたちし路に |
J17_0619B20: | て紫雲の南にたなびくををがみたり貴しなどはいふ |
J17_0619B21: | もさらなりときこゑければ聖さることもあらんとて上 |
J17_0619B22: | 人の往生一期の行狀なんとかたられしといへりこれ |
J17_0619B23: | よりさき上人勅請によりて知恩院に住し給へり第十九世なり |
J17_0619B24: | かの小濱に高音山石山寺といへる古跡のみありしを |
J17_0619B25: | 上人知恩院におはすころこれを中興し名を稱名院と |
J17_0619B26: | 改め退休の地となし給へり即小濱の稱名院といへる |
J17_0619B27: | これなり又むかし小濱に浦野氏がもちける里の入江 |
J17_0619B28: | の口にゑりとてあしたゆふべにすなどりする所のあ |
J17_0619B29: | りけるを上人慈念のあまり彌陀經をあまた石にかき |
J17_0619B30: | かの底に納めつつ魚鱗を廣江に追出し田畠になし給 |
J17_0619B31: | へり今にこれを隆阿物といふとぞ又上人の滅後小濱 |
J17_0619B32: | のあたりなる同流の寺院毎歳正月と六月との七日稱 |
J17_0619B33: | 名院に會して上人の冥福をつとめられしとなむ。 |
J17_0619B34: | 第三代中興嚴譽宗眞上人は大織冠鎌足公の苗裔將軍 |