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J2410 九巻伝 〓 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J17_0231A01: 傍に同御廐を食堂になし。鷹屋を鐘樓にし。泉殿を
J17_0231A02: 阿伽井とす。今の釋迦堂は泉の名をかりて淸涼寺と
J17_0231A03: 名づく。但釋迦如來はこの伽藍にうつり給ひし由來
J17_0231A04: を尋れば。昔釋尊一夏九旬の間。報恩經を説て。生母
J17_0231A05: 摩耶夫人の恩を報ぜんが爲に。忉利天上にのぼり給
J17_0231A06: ひし時。優闐大王。如來に離れ奉らん事をかなしみ
J17_0231A07: て。毗首羯磨に仰て。赤せんだんをもて尊像をうつ
J17_0231A08: し奉る。持地菩薩神通をもて。優闐大王の國より須
J17_0231A09: 彌山に。金銀水精の三の橋を渡せり。木像も生身の
J17_0231A10: 佛の送りにのぼり給ひしに。生身と木像と道の前後
J17_0231A11: を論じ給ひし時。木像の佛は。我は木像なり。爭か
J17_0231A12: 生身の佛にはまさるべき。生身の佛先に立給へとの
J17_0231A13: たまふ。生身の佛。われは入滅すべき身也。木像は
J17_0231A14: 利益久しかるべき佛なれば。木像先にたち給へとの
J17_0231A15: たまひしかば。木像先にたちて渡り給ひき。安居の
J17_0231A16: 後忉利天より下て。曲女城に入給ひし時は。木像身
J17_0231A17: を曲て生佛に揖し給ふに。化導を木像にゆづりて。
J17_0231B18: 生身の佛先に立て。祇園精舍に入給ひて後に。大唐
J17_0231B19: 國を化せんが爲に。震旦に來り給ふ。楊州開元寺の
J17_0231B20: 栴檀の像是也。爰に日本東大寺の求法の沙門奝然法
J17_0231B21: 橋。天元六年に官符を給ひて入唐の時。まづ開元寺
J17_0231B22: に至りて尊像を尋。即帝闕に參じて龍顏に謁し。勅
J17_0231B23: 免をかうぶりて。彼瑞像をうつして歸朝せんとする
J17_0231B24: 處。本佛を渡し可奉之由。栴檀の像面り奝然に示
J17_0231B25: し給ひければ。其心を得て新佛の色を本佛に相似せ
J17_0231B26: しめて取替奉て。晝は佛を荷擔し奉り。夜は佛奝然
J17_0231B27: を荷擔し給ひて。寬和二年七月九日に歸朝す。永延
J17_0231B28: 元年二月十一日に入洛す。一堂を建立して此像を
J17_0231B29: 奉安置。今の淸涼寺是也。彼永延より以來嘉祿に至
J17_0231B30: るまで二百四十年計にや成ぬらん。
J17_0231B31: 空阿彌陀佛往生事
J17_0231B32: 上人門弟の中に。法性寺の空阿彌陀佛は。經をもよ
J17_0231B33: まず。禮讚におよばず。只一向專念の行をたて。多
J17_0231B34: 念の棟梁。專修の大將也。行德人にしられ。名望世

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