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J2410 九巻伝 〓 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J17_0124A01: 法然上人傳記卷第三上
J17_0124A02:
J17_0124A03: 津戸消息事 選擇集事 善惠上人事
J17_0124A04: 月輪殿不審條條立之善惠上人消息事
J17_0124A05: 已上四段
J17_0124A06: 津戸消息事
J17_0124A07: 天神五代の後胤。文章博士菅原孝標。常陸守に任じ
J17_0124A08: て下國の時。武藏國の惣追捕使。祖父權守平重綱が
J17_0124A09: 娘に嫁して。一子を生ず。其名を津戸二郞爲廣とい
J17_0124A10: ふ。外祖父重綱が撫育をかふりて。譜代の跡をつ
J17_0124A11: ぎ。武勇の道を傳へき。其三男津戸三郞菅原爲守生
J17_0124A12: 年十八歳にして。治承四年八月に。右大將家于時兵衞佐
J17_0124A13: 石橋山の時。武州より馳まいる。房州へ越給ひし時
J17_0124A14: も同じく參向せしかば。處處の合戰に忠をいたし。
J17_0124A15: 重重の御感に預しより以來。關東家人の名を得て。
J17_0124A16: 武藏國御家人と號す。東大寺供養の爲に建久六年二
J17_0124A17: 月に。幕下御上洛の時は生年三十三歳。供奉したり
J17_0124A18: けるが。三月四日入洛。同廿一日法然上人へ參て。
J17_0124B19: 合戰度度の罪障を懺悔して。念佛往生の道をうけ給
J17_0124B20: て後は。在京の間も常にまいりて。下向の後も。更
J17_0124B21: に他の門を望まず。但信稱名の行者と成て。念佛の
J17_0124B22: 行おこたらざりけるを。人ありて熊谷入道。津戸三
J17_0124B23: 郞は無智の者なればこそ。餘行難叶によりて。念佛
J17_0124B24: ばかりをすすめられたれ。有智の人には。必しも念
J17_0124B25: 佛には限べからずと申ければ。津戸三郞。其子細を
J17_0124B26: 上人にたつね申ける時。此一事にも限らず。條條の
J17_0124B27: 不審を尋申けるに付て。同年九月十八日。上人の御
J17_0124B28: 返事。詮をとりてこれをのせば。
J17_0124B29: 一。熊谷入道。津戸三郞は。無智の者なればこそ。
J17_0124B30: 但念佛をばすすめたれ。有智の人には必しも念佛に
J17_0124B31: はかぎるべからずと申よし。聞え候らん。極めたる
J17_0124B32: ひが事に候也。其故は。念佛の行は。本より有智無
J17_0124B33: 智にかぎらず。彌陀の昔誓ひ給ひし本願も。あまね
J17_0124B34: く一切衆生の爲也。無智の爲には念佛を願とし。有
J17_0124B35: 智の爲には餘のふかき行を願とし給ふ事なし。十方

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