浄土宗全書を検索する
AND検索:複数の検索語をスペースで区切って入力すると、前後2行中にそれらを全て含む箇所を検索します。
巻_頁段行 | 本文 |
---|---|
J17_0124A01: | 法然上人傳記卷第三上 |
J17_0124A02: | |
J17_0124A03: | 津戸消息事 選擇集事 善惠上人事 |
J17_0124A04: | 月輪殿不審條條立之附善惠上人消息事 |
J17_0124A05: | 已上四段 |
J17_0124A06: | 津戸消息事 |
J17_0124A07: | 天神五代の後胤。文章博士菅原孝標。常陸守に任じ |
J17_0124A08: | て下國の時。武藏國の惣追捕使。祖父權守平重綱が |
J17_0124A09: | 娘に嫁して。一子を生ず。其名を津戸二郞爲廣とい |
J17_0124A10: | ふ。外祖父重綱が撫育をかふりて。譜代の跡をつ |
J17_0124A11: | ぎ。武勇の道を傳へき。其三男津戸三郞菅原爲守生 |
J17_0124A12: | 年十八歳にして。治承四年八月に。右大將家于時兵衞佐。 |
J17_0124A13: | 石橋山の時。武州より馳まいる。房州へ越給ひし時 |
J17_0124A14: | も同じく參向せしかば。處處の合戰に忠をいたし。 |
J17_0124A15: | 重重の御感に預しより以來。關東家人の名を得て。 |
J17_0124A16: | 武藏國御家人と號す。東大寺供養の爲に建久六年二 |
J17_0124A17: | 月に。幕下御上洛の時は生年三十三歳。供奉したり |
J17_0124A18: | けるが。三月四日入洛。同廿一日法然上人へ參て。 |
J17_0124B19: | 合戰度度の罪障を懺悔して。念佛往生の道をうけ給 |
J17_0124B20: | て後は。在京の間も常にまいりて。下向の後も。更 |
J17_0124B21: | に他の門を望まず。但信稱名の行者と成て。念佛の |
J17_0124B22: | 行おこたらざりけるを。人ありて熊谷入道。津戸三 |
J17_0124B23: | 郞は無智の者なればこそ。餘行難叶によりて。念佛 |
J17_0124B24: | ばかりをすすめられたれ。有智の人には。必しも念 |
J17_0124B25: | 佛には限べからずと申ければ。津戸三郞。其子細を |
J17_0124B26: | 上人にたつね申ける時。此一事にも限らず。條條の |
J17_0124B27: | 不審を尋申けるに付て。同年九月十八日。上人の御 |
J17_0124B28: | 返事。詮をとりてこれをのせば。 |
J17_0124B29: | 一。熊谷入道。津戸三郞は。無智の者なればこそ。 |
J17_0124B30: | 但念佛をばすすめたれ。有智の人には必しも念佛に |
J17_0124B31: | はかぎるべからずと申よし。聞え候らん。極めたる |
J17_0124B32: | ひが事に候也。其故は。念佛の行は。本より有智無 |
J17_0124B33: | 智にかぎらず。彌陀の昔誓ひ給ひし本願も。あまね |
J17_0124B34: | く一切衆生の爲也。無智の爲には念佛を願とし。有 |
J17_0124B35: | 智の爲には餘のふかき行を願とし給ふ事なし。十方 |