浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J17_0082A01: | 今釋迦堂、泉名をかりて、淸涼寺と稱するところを、 |
J17_0082A02: | 今度、造營に、聖跡をやぶるのみにもあらず、五間 |
J17_0082A03: | の阿彌陀堂を、つづめて三間になす、如何。 |
J17_0082A04: | 承久二年庚辰四月八日より、一夏九旬持薺にて參籠、 |
J17_0082A05: | 毎日七萬遍念佛。 |
J17_0082A06: | 承久三年辛巳卯月八日より、至于同七月十五日時ま |
J17_0082A07: | で、毎日念佛十萬遍。其間、佛前異香、甚以薰入す。 |
J17_0082A08: | 仍寺僧語之全不聞之。然て經兩三日又以薰ず。 |
J17_0082A09: | 語之時、常住云、京極民部卿兼俊聞之。自爾以來 |
J17_0082A10: | 未然。是十弟子建立願主 |
J17_0082A11: | 弟子前權律師公全此聖骨爲奉納、敬建 |
J17_0082A12: | 立寶塔一基、同念佛三昧を勤修、奉納 |
J17_0082A13: | 阿波院之御骨。これ少藏山のふもと、中 |
J17_0082A14: | 院のほとり、大乘善根の堺也。 |
J17_0082A15: | 小倉山鴈塔の圖 |
J17_0082A16: | 凡、上人、德行白地、諸宗ゆゆしき事にこそ。まづ |
J17_0082A17: | 三論權律師寬雅、法相贈僧正藏順天台惠光房永辨薗 |
J17_0082A18: | 城寺長吏僧正公胤はじめは謗じて、のちに歸す。仁 |
J17_0082B19: | 和寺法親王、御歸依尤ふかし。誰人か暗夜無燈照 |
J17_0082B20: | 室乎、誰人か慈覺大師の袈裟相傳之南岳大師相承云云誰人 |
J17_0082B21: | 奉爲 帝皇貴之哉、誰人奉爲法皇圖之哉、 |
J17_0082B22: | 誰人奉爲攝政禮之乎、誰人奉爲諸宮諸院敬 |
J17_0082B23: | 乎、誰人奉爲數代座主歸乎、誰人毎師匠還而 |
J17_0082B24: | 爲弟子乎、誰人爲智惠第一と稱乎、誰人か現身 |
J17_0082B25: | 放光乎、誰人早世之後、花夷男女毎家報遠忌月 |
J17_0082B26: | 忌、臨時孝養乎、誰人毎人留眞影而持念乎。此中 |
J17_0082B27: | 一德備人は、可恨餘事不足。其外離百非之輩、 |
J17_0082B28: | 爭舒甲乙之舌乎。彼釋尊將調達同姓也、雖爲 |
J17_0082B29: | 皇胤惟一也。所行將作法異覺也、姑缺相好其二 |
J17_0082B30: | 者也。而上人、皇后卿臣之家不生て、苟雖爲遠國 |
J17_0082B31: | 之土民、召殿上、猶以登高座。又 公請覺道之業、 |
J17_0082B32: | 無携之而忝傳明王、而剩被顏仰乎。是偏慈覺 |
J17_0082B33: | 大師之遺風、戒文につきたる袈裟附屬の故。善導和 |
J17_0082B34: | 尚の餘波。念佛に具する聖衆擁護の德也。上件巨細、 |
J17_0082B35: | 將來までとどめんと念佛の處、古廟顚倒の日、無懺 |