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J1420 和語灯録日講私記 義山・素中 画像

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巻_頁段行 本文
J09_0668A01: 廢して親王として淡路國に流し玉ふ故に淡路の廢帝
J09_0668A02: と申すなり翼賛五十三之初丁云云○彌陀觀音化し來りてとは天平
J09_0668A03: 寳字七年六月彌陀觀音化尼化女となりて織りあらは
J09_0668A04: して中將姫に與へて本尊と定め玉ふ也然るに上の靈
J09_0668A05: 像は皆漢土より渡玉ふ故に善光寺并に嵯峨釋迦の事も出すべし不思議の靈
J09_0668A06: 像と云こと傳説に聞く今此の曼陀羅は正しく日本の
J09_0668A07: 事なれは何なる邪見の者も此れを疑ふ事無し是故に
J09_0668A08: 此れを擧るなり○慈覺とは承和二年に入唐し十四年
J09_0668A09: に傳來彌陀引聲念佛阿彌陀經法華懺法灌頂舍利會
J09_0668A10: 等大法也大凡佛法東漸は半は是の大師の力也貞觀
J09_0668A11: 六年正月十四日念阿彌陀令諸門人同唱至子時
J09_0668A12: 結定印北首右脇入滅玉ふ釋書三卷十二丁及扶桑往生傳上六丁○慈惠とは
J09_0668A13: 諱は良源姓は木津氏近州淺井郡の人也俊才英特にし
J09_0668A14: て神異尤も多し永觀三年正月三日唱彌陀而滅年七
J09_0668A15: 十四世俗稱元三大師釋書四之十丁古今往生畧傳十丁○楞嚴の月の前
J09_0668A16: とは首楞嚴院なり橫川の如法堂是也其基址今の元三
J09_0668A17: 大師堂の後にあり○往生の要文とは六十四代圓融院
J09_0668B18: 永觀二年冬十一月集之明年四月其功畢る○禪林と
J09_0668B19: は今永觀堂と稱し聖衆來迎山と號す文德天皇齊衡年
J09_0668B20: 中に弘法大師の法孫眞紹僧都の艸創第二世宗叡僧都
J09_0668B21: は淸和天皇御歸依ありて勅願寺となし給へり中古花
J09_0668B22: 山院の皇子深觀僧都住し給ひ永觀律師從て出家す其
J09_0668B23: 後三論法相顯密兼學の碩德各宗義を此寺に弘む靜遍
J09_0668B24: 僧都も亦此に住して後禪林寺と號す是の僧都は池殿
J09_0668B25: の御息にして德又一時に長しけれは賴朝卿御皈依有
J09_0668B26: りて武運長久の祈りにとて大般若經を轉讀せらる其
J09_0668B27: 規今に在り翼賛五十二之九丁然るに靜遍僧都至空師滅後披
J09_0668B28: 閲選擇集深慕元祖遺風頻歸專念之道自改號曰
J09_0668B29: 心圓房即以源空上人爲祖又讓東山於證空上人
J09_0668B30: 僧都滅後兼住東西兩山不久亦附東山於法興自
J09_0668B31: 居西山以弘所承已上東山舊記の説にて西山流の宗派承繼に出づ可見淨音の後孫
J09_0668B32: 此に來り住して大に法流を弘め盛に淨土宗とす是よ
J09_0668B33: り相續て淨家一派の本寺となれり○敎行とは敎謂示
J09_0668B34: 敎是乃上之所施下之所效行謂修行是乃禀承修習之

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