浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J09_0664A01: | 日本紀の説也○聖德太子とは我朝の佛法最初の導師 |
J09_0664A02: | なれは日本の釋迦なり爾れは世人皆太子の恩を報す |
J09_0664A03: | へきこと也今時は大工ならては太子を信せぬ樣にす |
J09_0664A04: | るは謬り也扨如來へ御文を進し玉ひし事委くは御傳 |
J09_0664A05: | 第十六翼賛に有り予か隨聞記を見合せて辨すへし具 |
J09_0664A06: | に記之聖德太子の名義は畧之 |
J09_0664A07: | ○先代舊事本紀第三十卷欽明天皇十四年正月の紀曰物部 |
J09_0664A08: | 大連尾興及中臣連鎌眞奉詔將衆向小墾田取釋 |
J09_0664A09: | 迦像以〓吹之終不融解火不更近以鐵鎚擊 |
J09_0664A10: | 不附小疵乃至於是大連乃以佛像流棄波花堀 |
J09_0664A11: | 江深底復縱火於伽藍燒燼以更無餘と按するに十 |
J09_0664A12: | 卷の太子傳眞名之本に依るに太子十三歳の御時興嚴寺豊浦寺是 |
J09_0664A13: | なりを建立し給て石像の彌勒を始め舍利及ひ經卷を安 |
J09_0664A14: | 置し又一光三尊の如來を難波の堀江より取り擧け奉 |
J09_0664A15: | て同く此を安置し給ふ其翌年太子時に十四歳守屋彼の豊浦寺 |
J09_0664A16: | を燒き拂ひ燒けざる所の佛像を取て亦難波の堀江に |
J09_0664A17: | 投すと今所言堀江は豊浦寺の東佛門の東飛鳥河の |
J09_0664B18: | 西の入江なり昔は彼の江廣博にして海浦に相似たり |
J09_0664B19: | 故に豊浦とも云なり攝州の難波に擬して今難波の堀 |
J09_0664B20: | 江と云なりされは一光三尊の如來を堀江に投するこ |
J09_0664B21: | と兩度なり此の後本田善光か所に渡り給ふ然るに善 |
J09_0664B22: | 光寺縁起には敏達帝御煩の時乃至如來光明を放て飛出 |
J09_0664B23: | 玉ふと未知孰是是に知ぬ舊史并に十卷の太子傳 |
J09_0664B24: | 善光寺縁起等の趣き欽明天皇十三年十月に渡し奉る |
J09_0664B25: | 金銅の釋迦の像と云は一光三尊の靈像なること决し |
J09_0664B26: | て疑無しされと舊史紀傳一所として一光三尊彌陀の |
J09_0664B27: | 像と云事なし皆釋迦の像とあり何なる由にや定て意 |
J09_0664B28: | 旨あるへし委くは別に記錄す○又十卷傳第三云太子 |
J09_0664B29: | 御歳卅一推古天皇十三壬戌王城は大和國高市郡小墾田 |
J09_0664B30: | 村也時に信濃國麻績東人善光字本太乃至如來告善光 |
J09_0664B31: | 言汝天竺にての契約從生國尋ね來れり殊に日本に |
J09_0664B32: | て心を苦しむ或は尾興の大臣か強て依訴被隱蘇我 |
J09_0664B33: | 稻目或は守屋か依邪見被沉難波堀江見憂目 |
J09_0664B34: | 事五十年也稻目か時十九年馬子か時十四年堀江の中 |