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J2750 徳本行者伝 行誡 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J18_0440A01: 藉して。京師に遊學し。快琳上人に就て。唯識を研
J18_0440A02: 究す。師の德風に歸して。勝尾にのぼり。入門し
J18_0440A03: て。名を德圓と改む。あるひ。師に問まをさく。師
J18_0440A04: は常に一枚起請を凖繩とし給ふに。などか拜服名號
J18_0440A05: を人にあたへて。現益を施し玉ふと申ければ。汝。
J18_0440A06: 大悲門をしらずやと答給ひしとぞ。或時。七日の別
J18_0440A07: 業を修しける間に思定る事ありて。いまより市朝の
J18_0440A08: 路を踏じとて。初山城の古知谷に籠。のちに阿州に
J18_0440A09: 移り。壁が嶽にて。修行する事數十年なり。曾て。
J18_0440A10: 弟子に示して曰。我師の碩德。和漢の高僧にも恥給
J18_0440A11: はず。王侯大臣の歸敬。あたかも元祖大師の御あと
J18_0440A12: に似たり。竊におもふ。これかならず。禮拜の功德
J18_0440A13: ならん。口稱念佛の禮拜は。三業具足して。往生の
J18_0440A14: 正因たるはもとより。現在には無始の業障を滅し利
J18_0440A15: 他の門をひらく。二三子。つとめて禮拜の功を積と
J18_0440A16: て。みづからも常常。禮拜をつとめて。衰老に及べ
J18_0440A17: ども。日夜おこたりなく。をりをり百日に百萬禮を
J18_0440B18: 勤修せられたり。天保十三寅年。九月二日。入寂
J18_0440B19: す。廣蓮社剛譽と號す。
J18_0440B20:
J18_0440B21: 三州荒井山九品院德住和尚
J18_0440B22: 和尚は。三州大濱の産なり。初三縁山に修學す。後
J18_0440B23: に中山道。本庄宿の圓信寺に住す。師の信州攝化の
J18_0440B24: 時。法服どもかいつくろひて。迎奉り。初て師に謁
J18_0440B25: するに。師は衣鉢飄然として。おのづからの威儀を
J18_0440B26: 具し給へるさま。富嶽の素雪。衆峰の翠に秀るが如
J18_0440B27: くなるに。赧然として省する事あり。ただちに彩衣
J18_0440B28: を改て。弟子の列に入けり。此時名を德住と賜ふ。
J18_0440B29: 一を以て貫けといへる御歌を。玉はりけるを。深く
J18_0440B30: 肝に銘じたりとて。終身この言葉を仰ぎたりき。さ
J18_0440B31: ればただちに信州の攝化にも。隨逐して。勵聲念佛
J18_0440B32: おこたりなかりき。天保十一子年。十一月進具せ
J18_0440B33: り。法隆寺叡辨和上證明す。後に信州唐澤に閑居し
J18_0440B34: て。千日の別行をつとむ。功積德累たるは。固さる

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