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J2750 徳本行者伝 行誡 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J18_0439A01: 泊然して逝す。得蓮社才譽と號す。
J18_0439A02:
J18_0439A03: 江戸淺草稱往院德因和尚
J18_0439A04: 和尚は。駿州の産なり。幼にして。同所善龍寺にお
J18_0439A05: いて出家し。增上寺に籍して。修學年を積り。後に
J18_0439A06: 丹後國。田邊町無常院に住す。師の勝尾寺に攝化し
J18_0439A07: 玉ふころ。月月丹州より通ひて。留錫して。隨喜念
J18_0439A08: 佛す。ある極月の末に。年も暮侍れば。一まづ丹後
J18_0439A09: へ歸りなんとて。師にいとま申たるに。師の給は
J18_0439A10: く。出家は三界に家なし。歸るとはいづれにかへる
J18_0439A11: ぞとのたまひしを聞て。豁然として。心地定り。寺
J18_0439A12: へも歸らず入門して。弟子の列に加りしかば。德因
J18_0439A13: とは名づけ給へり。かくて。文政七申年。神奈川の
J18_0439A14: 觀福寺において。千日別行を發願す。あくる酉の年
J18_0439A15: に。武州辰沼の龍巖寺へ移錫し。其翌年。この寺の
J18_0439A16: 堂舍建立落成し。千日の別行を滿ず。同十二年の
J18_0439A17: 秋。南都法隆寺。叡辨和上の室に入。登壇受戒し。
J18_0439B18: 天保元年の春。淺草稱往院へ移住す。抑この稱往。
J18_0439B19: 龍巖の兩寺は。もとより尋常の官刹なるを。和尚移
J18_0439B20: 錫の後に。錄所に白して。捨世念佛の道塲とはなし
J18_0439B21: ぬ。天保二年。秋のころ。はげしき病にかかり。起
J18_0439B22: べからざるをしり。高足の弟子稱瑞へ。遺言などし
J18_0439B23: てけり。其ころ。誰ともしらざる人の。德本行者を
J18_0439B24: 荼毘したる。御舍利也とて。水晶の壺に入て持來れ
J18_0439B25: り。其つぼより。一縷の烟立よと見えしに。頓て。
J18_0439B26: 師の御姿あらはれて。汝が病は全快すべきぞと。つ
J18_0439B27: げ給ふとおもへば。夢覺ぬ。それより病縁。快方に
J18_0439B28: 趣きたりとぞ。天保八丙年。十一月廿九日。念佛の
J18_0439B29: 聲とともに往生す。多賀明神の感應。神奈川觀福寺
J18_0439B30: の觀音の靈應などの事。別記に出すべければ。いま
J18_0439B31: ははぶきぬ。本蓮社習譽と稱す。
J18_0439B32:
J18_0439B33: 阿州壁嶽德圓和尚
J18_0439B34: 和尚は。いづれの所の人なるを詳にせず。增上寺に

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