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J2750 徳本行者伝 行誡 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J18_0422A01: うけしものも。數千人なりきとぞ。
J18_0422A02: 小石川一行院は。師を抑留の爲に設られし道塲なれ
J18_0422A03: ば貴賤道俗おしなべて。心を用ひ莊嚴し。永師を安
J18_0422A04: 置し申さんとて。其年の十一月七日より土を堀。石
J18_0422A05: をはこびはじむ。百工職を勵。萬人力を盡してけれ
J18_0422A06: ば。十二月廿三日には。佛殿厨坊を始。門。塀。泉
J18_0422A07: 石に至るまで。殘處なく落成せり。金碧目を輝し。
J18_0422A08: 鐘磬耳を新にす。
J18_0422A09: 文化十五寅年。九月上旬のころより。師年來の痰痎
J18_0422A10: 增長して。音聲枯竭せらる。諸弟子より。醫藥をす
J18_0422A11: すめ申といへども。服し給はず。九月十五日。月頃
J18_0422A12: の別時終て。弟子に命ずらく。いまより一七日我爲
J18_0422A13: に念佛を修せよ。わが臨末遠からじと。廿一日別行
J18_0422A14: を終て。御領に懸玉ふ佛舍利を。弟子本佛に授給ふ
J18_0422A15: 時。のたまはく。我一夕。金色の辨才天。この寺を
J18_0422A16: 圍饒し給ふを見たりき。いまより此天尊をもて。こ
J18_0422A17: の寺の鎭守とすべしとの給二十三日。また諸弟子に
J18_0422B18: の給はく。我生涯大師の一枚起請をもて。自行化他
J18_0422B19: の鏡とせり。汝等も我とひとしく。此遺訓に隨ふべ
J18_0422B20: し。我遺屬。この外に一言ある事なしと。弟子等。
J18_0422B21: 悲感涕泣して。謹で信受す。大僧正の御許にも。こ
J18_0422B22: の事聞えければ殊の外におどろかせ給ひて。幹事お
J18_0422B23: よび。内外の衆僧に仰て。日日問訊せらる。都下の
J18_0422B24: 道俗傳聞して。おなじさまに來て。安否を問奉るも
J18_0422B25: の。日夜たゆることなし。
J18_0422B26: 師。一夕。名號一千枚を加持して。一橋前亞相の君
J18_0422B27: に奉らる。前來師資の道契なほざりならざるが故な
J18_0422B28: り御館にも。師の違例におどろかせ給ひて。屢屢朝
J18_0422B29: 鮮人參など。おくらせ給へり。大城よりも。一橋の
J18_0422B30: 御館に仰て。大漸にいたらざる前に。加持の名號上
J18_0422B31: るべきよしなり。これによりて。西城より德川萬德
J18_0422B32: 寺をもて。御使給はる。この日營中の貴嬪。おほく
J18_0422B33: 訪給へり。此頃在府の侯伯みづから來臨し玉ふもあ
J18_0422B34: り。あるは家臣をもて。訪ひ給ふもありて日として

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