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J2750 徳本行者伝 行誡 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J18_0420A01: 江戸小石川の大佛堂に歸錫せられけり。この際。請
J18_0420A02: 待の寺院。並に士庶の家家。あるは所所の名號塔の
J18_0420A03: 染筆。および剃髮日課の結縁。幾千萬なるをしら
J18_0420A04: ず。今は其大略を記すのみ。
J18_0420A05: 文化十三年。秋のころより。一橋民部卿殿。御不豫
J18_0420A06: にして。師の歸府をまたせ給ひしかども。かなはせ
J18_0420A07: 給はで。閏八月廿八日にかくれさせ玉へり。御臨終
J18_0420A08: いとたうとき御氣しき也きとぞ。年ごろ念佛の御
J18_0420A09: 勤。おこたらせ給はざりける御驗なるべし。御追善
J18_0420A10: にとて。父の卿を始奉り。御兄弟の公達など。御中
J18_0420A11: 陰の間。三百坐の百萬遍をぞ修し玉ひける。御結願
J18_0420A12: の御導師に。師を請じ申されけるは。日ごろまたせ
J18_0420A13: 給ひし御志に酬ひ參らせ給へるなるべし。
J18_0420A14: 一橋前亞相の御弟。今の兵部卿殿にも。師をまたせ
J18_0420A15: 給ひければ歸府ののち。日數をも經ず。請じ申され
J18_0420A16: けり。其日は戌の刻を過して退出せられけれども。
J18_0420A17: 法話は猶説盡し給はざるべし。
J18_0420B18: おなじ年十月十七日。勢州慶光院の尼公一條關白殿御息女御參
J18_0420B19: 詣ありて日課六萬稱を誓はせ給ふ。師。女人往生の
J18_0420B20: 旨を。ねもころに説法し給ひければ。御落涙ただな
J18_0420B21: らず。いとたうとき事になんおぼし入玉へる御氣色
J18_0420B22: 也ける。
J18_0420B23: 江戸の化益。殊の外盛になりしかば。老嬴に臨み
J18_0420B24: て。應接も何となくつかれ玉ふにや。ふたたび勝尾
J18_0420B25: の草庵に歸錫せばやとおぼしけるを。いつしかもれ
J18_0420B26: ききけん。道俗おどろきて。いかにもして。此地に
J18_0420B27: とどめまゐらせんとおもひける中にも。一橋前亞相
J18_0420B28: の御方には。御臨終の善知識にもなどまで。またな
J18_0420B29: くおぼしいれ玉ひたるを。いかでいま御名殘となる
J18_0420B30: べきかはとて。近く召つかはるる皆川藤右衞門とい
J18_0420B31: ふものを。御使として。我七十歳まではとおもひつれ
J18_0420B32: ど。夫までは永しとやおぼさんなれば。いま兩三年
J18_0420B33: のあひだは。留錫あらまほし。其旨方丈より鸞洲。
J18_0420B34: 大基へ申させ給へかしと。增上寺大僧正の御許へ。

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