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J2750 徳本行者伝 行誡 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J18_0411A01: 錫し給ふ。大和路を經て。河内の叡福寺へぞ詣ら
J18_0411A02: る。この寺は聖德皇太子の御廟にて。今年。一千二
J18_0411A03: 百回の御國忌なればとて。寺の住持幸に師を請じて
J18_0411A04: 三日三夜の念佛會ありき。この序をもて。當麻寺。
J18_0411A05: および南都の興福院に詣られ。再勝尾寺へおもむか
J18_0411A06: るこは文化十一年の春の事なり。
J18_0411A07: 大僧正より。師の下向をうながし給へる事。度度に
J18_0411A08: 及ぬれば同年の五月中旬。勝尾の草庵を辭せらるる
J18_0411A09: よし。諸方にきこえければ。遠近の道俗。いまは最
J18_0411A10: 後の御わかれなるべしとて。詣來たるもの。日日引
J18_0411A11: もきらず。白雲は紅塵に換り。山澗も朝市の如くに
J18_0411A12: ぞ見えにける。人人餘りに御なごりを。をしみ申け
J18_0411A13: れば。説法のついでに。の給ひけるは。善導大師
J18_0411A14: は。籠籠常在行人前と説給へり我も淨土の諸聖衆の
J18_0411A15: 中にまじはりて汝らが前に常に現在するぞとの給ひ
J18_0411A16: ける。この頃。師。弟子達に示しての玉はく。むか
J18_0411A17: し釋迦牟尼佛の在世。提婆達多は佛の相好にかけた
J18_0411B18: る處。僅に二相なりといへり。されども其德の違へ
J18_0411B19: るにいたりては。雲壤もなほちかしといふべし。我
J18_0411B20: この地を去たらん後。けふの化益の盛なるを見聞し
J18_0411B21: て。やがて我をまねばんもの有べし。それが中に
J18_0411B22: は。相好も辨才も。われにまさりてみゆるもあるら
J18_0411B23: ん。それらが。すかしほらかすを。眞ときかば。往
J18_0411B24: 生の一大事をうしなふこと有べし。金鍮は辨じがた
J18_0411B25: し。魚目は隋珠に混ずるぞ。似て非なるものに。惑
J18_0411B26: はさるる事なかれとの玉へり。後年に至り。果し
J18_0411B27: て。師の山籠りの間の或は長髮。あるは避糓。ある
J18_0411B28: は但三衣。などの行相をまねびて。我はいづこの山
J18_0411B29: 奧に。幾年行すましたるもの也など。ほこりかにい
J18_0411B30: ひもし。いはせもせる輩の出きにけり。實に師の先
J18_0411B31: 見。露違はざるもいとかしこくなん。かくて五月十
J18_0411B32: 七日に勝尾を出て。其日の夕暮に。京都の圓通寺に
J18_0411B33: つかせ給ふ。頓てこの寺において。
J18_0411B34: 先帝。並に 仙洞御所の女房達あまた得度の式請玉

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