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J2730 学信和尚行状記 慧満・僧敏 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J18_0307A01: して。實に今師敎導の餘澤なり。
J18_0307A02: 師此寺に住持せられしは。老父孝養のためなりし
J18_0307A03: に。既に往生せられし故。今は速に退院すべしと
J18_0307A04: て。その翌年戊寅正月廿五日。元祖大師の御忌を勤
J18_0307A05: 修し。法話をなして諸人に別れをつげ。直に寺を出
J18_0307A06: られしに。諸人皆父母にはなるるがごとく。別れを
J18_0307A07: 惜みてかなしみなげくさま。いとあはれなりけり。
J18_0307A08: その中に壯年の二男二女あり。時にあたりて發心し
J18_0307A09: て。海邊にてみづからもとどりを斷て。其志をあらは
J18_0307A10: しけるが。それより浮世をいとふ思ひ深く。淨土を
J18_0307A11: 願ふ心彌增にして。年經て後。ともに出家の素志を
J18_0307A12: 遂たり。およそこれらをもて。師のいたる所。化導
J18_0307A13: の盛なりしことはかり知ぬべし。師それより。京師
J18_0307A14: 華頂山に登り。信冏上人を吹擧して。淨光寺の席を補
J18_0307A15: はしめ。みづからは所所に遊歷して。學業を勵み。
J18_0307A16: 修行を勇進せらる。
J18_0307A17: 明和三年。丙戌夏。洛東獅ケ谷。法然院。住僧を闕
J18_0307B18: ければ。華頂山前大僧正。順眞尊者隱室にましまし
J18_0307B19: けるが。師を推出し給ひければ。大衆法親等ともに
J18_0307B20: 懇請せしに。廬山の遺風を復び興さばやと思はれけ
J18_0307B21: れば。やがて請に應ぜられて。六月十七日進山せら
J18_0307B22: れしかども。いささか意に愜ぬことのありしかば。
J18_0307B23: さらぬことに托して。同年十一月二日に。忽ち寺を
J18_0307B24: 退かれしを。老隱智了和尚いさめて。夏にして住持
J18_0307B25: し秋にして退去せられんは。餘りに輕輕しなど。さ
J18_0307B26: りがたく聞えしに。師云。我聞く淨土の莊嚴は。寶
J18_0307B27: 殿逐身飛とかや。しかも此松徑竹關の寺。いかでか
J18_0307B28: 我身を逐ふことを得んや逐ざるもまたよしと笑ひてさ
J18_0307B29: れり。其後宮島光明院檀越。京にのぼりて。師を請
J18_0307B30: じければ。その地先に遊びて。以八。猒求などの。
J18_0307B31: 古德の跡なつかしく。且山淸く海朗にして。觀境心
J18_0307B32: すみぬべしと。師の素志にかなひければ。すなはち
J18_0307B33: かしこにいたりて住職せらる。かくて數年の後。上
J18_0307B34: 足俊峯に寺職をとらしめ。みづからは隱寮加祐軒に

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