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J2710 関通和尚行業記 〓 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J18_0234A01: 修せらる。かくて月を重年を經るほどに法運時至
J18_0234A02: り利物縁熟せしにや。師の敎を信し他の議を恐れす
J18_0234A03: して。偏に念佛相續せる道俗童男童女の中にも。現
J18_0234A04: 證あらたに往生を遂るものここかしこに多く。また
J18_0234A05: 先に念佛弘通の障碍をいたせし輩。惡病に罹り現報
J18_0234A06: を受るもの少からず。これによりて諸人耳目を驚し。
J18_0234A07: 誹謗の輩も正信を發起し法盟を尋で多念の口稱を專
J18_0234A08: とする徒往往出來て。法筵羣をなし利生日日に盛ん
J18_0234A09: に邪執の舊弊此に革る。これより道譽いよいよ顯れ
J18_0234A10: ければ。この頃名護屋の寶周寺養蓮寺などいふ寺院
J18_0234A11: の請に應し説法せらしにも。課佛を受るもの數萬に
J18_0234A12: 及ける。そののち元文元年冬の頃。三河國矢作村光
J18_0234A13: 明寺において説法せられし時も。また他より師の弘
J18_0234A14: 化を妬み城主に讒訟せしかば。七日を期とする説法
J18_0234A15: なりしを三日にいたりて止られ。尾州にかへられ
J18_0234A16: けり。此時妨げをなせし人人後におそろしき現罰を
J18_0234A17: 蒙りしもの多かりければ。これに驚き府下多く渴仰
J18_0234B18: して師の德を仰きぬ。其後寶曆二年のころ美濃國岐
J18_0234B19: 阜の本誓寺にて説法の時。また明和四年春のころ近
J18_0234B20: 江國彥根宗安寺にして説法せらし時なども。多念の
J18_0234B21: 口稱をのみ偏に勸めて破邪顯正分明なりしによて。
J18_0234B22: 他より此事を恨み忿怒の餘り蜂起して師を害せんと
J18_0234B23: まで催けることもありし。かく度度の難にあはれし
J18_0234B24: かども少しも厭ひ怖るることなく。專修の勸化いよ
J18_0234B25: いよ明らかに。ことに老邁におよびては立破もとも
J18_0234B26: 嚴しくして。彼一念義の邪を彈呵せられし事は世擧
J18_0234B27: て知るところなり。おもふに。この彈呵人情より出
J18_0234B28: るにあらず爲法の志のやむことを得ざればなり見る
J18_0234B29: 人此に僻することなかれ。享保十二年の秋の頃。殊
J18_0234B30: 勝の大曼陀羅を得らる。抑此曼陀羅は往昔華洛の無
J18_0234B31: 塵居士靈夢によりて岩倉山において九色の彩土を感
J18_0234B32: 得せり。委しきことは義山上人の述奬記にあり洛北報恩寺古澗和尚其彩具
J18_0234B33: をもて。大曼陀羅四幅を畵く。今の聖圖は其隨一な
J18_0234B34: り。しかるに深き因縁ありて。右の大曼陀羅を勢州

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