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J2530 称念上人行状記 妙阿 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J17_0671A01: て人間一生の間は夢まほろしのことくにして彈指の間
J17_0671A02: なりわつかの間御心にかけ勤させ給へは壽命無量に
J17_0671A03: して永く快樂を得るかゆへに其國を極樂と申なり返
J17_0671A04: す申なり返すも萬行を捨て念佛の一行を御勤ましますやう
J17_0671A05: を申給へはいよいよ御祝著ありて還御し給ひけりし
J17_0671A06: かしよりふかく上人に御歸依ありしに其歳秋の初上
J17_0671A07: 人遷化し玉ふと聞及ひ給ひて大にちから落させ給ひ
J17_0671A08: けりとなん其後永祿四年正月十九日上人年の始の忌
J17_0671A09: 日とや思しめしけむ御筆を染られ一心院の額字を賜
J17_0671A10: ふ裡にしるして云。
J17_0671A11: 此額者當
J17_0671A12: 公方將軍義輝公之御筆也諏訪神兵衞尉俊卿自作自彫
J17_0671A13: 畢併仰信報恩所顯也。
J17_0671A14: 永祿四年正月十九日
J17_0671A15: ○義輝公 人皇百七代正親町院御宇永祿八年五月十九日捐館アリ同六月左大臣從一位贈號アリテ法名光源院ト號ス父子兄弟相續シテ尊氏公入洛建大二年ヨリ將軍十三代治世凡二百三十一年○額裏書知恩院二十八世ノ浩譽上人是ヲ記シ玉フ。
J17_0671B16: 當山境地を賜令旨の事
J17_0671B17: 上人滅後十二年永祿八年五月十九日靑蓮院無品親王
J17_0671B18: 御氣色によつて當山地面境内恩賜ありける御許狀に
J17_0671B19: 云。
J17_0671B20: 御恩領之内師屋敷之事
J17_0671B21: 治部卿法眼任契約之旨可被全領知之由靑蓮院無品親
J17_0671B22: 王御氣色所候也仍執達如件
J17_0671B23: 永祿八年五月十九日 法橋經存判
J17_0671B24: 謹上 一心院常音御房
J17_0671B25: 改葬に尊骸 拜せし事
J17_0671B26: 傳云上人在世常に元祖大師の御廟に詣て在がことく恭
J17_0671B27: 敬尊重ありて景慕ふかくましまし給けれは遺書あり
J17_0671B28: て大師御廟所の下紫雲水のほとりに地をゑらみ棺槨
J17_0671B29: をおさめ塚塔を建て侍りしに滅後四十九年慶長七年
J17_0671B30: 事のゆへ有て知恩院滿譽僧正御はからひにて山上に
J17_0671B31: うつし給へり時に衆僧群參し塚塔をしりぞけ土をう
J17_0671B32: かち棺槨をうかかひ奉るに不思議なるかな五十年の

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