浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J16_0414A01: | 佛だにも申せは往生はするぞと。やすやすと仰を承 |
J16_0414A02: | り侍れは。あまりにうれしくて。なかれ侍るよしを |
J16_0414A03: | そ申ける。誠に後世を恐たるものと見えければ。無 |
J16_0414A04: | 智の罪人の念佛申て往生する事。本願の正意なりと |
J16_0414A05: | て。念佛の安心こまかに授給けれは。ふた心なき專 |
J16_0414A06: | 修の行者にて。ひさしく上人につかへたてまつり |
J16_0414A07: | けり。 |
J16_0414A08: | ●熊谷ハ武藏國ニアリ大里埼玉二郡ニマタガレリ●直實ハ武藏國熊谷地頭平直貞ガ子也平治ノ亂ニハ屬惡源太義平郁芳門ヲ守リシ十六騎ノ一員治承四年石橋山ノ合戰ニハ大庭景親以下平家被官三千餘騎ノ精兵ノ中其隨一元曆元年一谷ノ先登也 |
J16_0414A09: | ●治承四年八月廿三日賴朝卿陣于石橋山此時直 |
J16_0414A10: | 實等ナヲ平家ノ方人タリ同年十一月四日爲攻 |
J16_0414A11: | 擊常陸國佐竹冠者秀義被遣軍兵直實相從ヘ |
J16_0414A12: | リ同七日廣常以下士率歸參御旅舘申合戰次第 |
J16_0414A13: | 等軍兵之中熊谷次郞平山季重殊有勳功於所 |
J16_0414A14: | 所進先登更不顧身命多獲凶徒首依其賞 |
J16_0414B15: | 可抽傍輩之旨被仰下壽永元年六月五日熊谷 |
J16_0414B16: | 次郞直實匪勵朝夕恪勤之忠去治承四年追討 |
J16_0414B17: | 佐竹冠者之時殊施勳功依令感其武勇給武 |
J16_0414B18: | 藏國舊領等停止直光直實カ之姨母夫也之押領可領掌 |
J16_0414B19: | 之由被仰下而直實此間在國今日令參上賜件 |
J16_0414B20: | 下文云云其下文云直實勝萬人前懸一陣顯一人 |
J16_0414B21: | 當千高名其勸賞件熊谷郷地頭職成畢元曆元年二 |
J16_0414B22: | 月七日一谷合戰直實父子與平山季重懸先登日 |
J16_0414B23: | 本第一剛者名謁相戰東鑑惡七兵衞景淸等二十三騎ヲ |
J16_0414B24: | 始メ其猛威ニ恐レテ見遁ニシケル盛衰記合戰ノ字ハ |
J16_0414B25: | 史記秦本紀ニ與晋惠公夷吾合戰於韓地又高祖 |
J16_0414B26: | 記ニ旦日合戰●幕下ハ將軍ノ異稱ナリ建久三年 |
J16_0414B27: | 七月十二日賴朝卿征夷大將軍ニ任ゼラル東鑑具ニハ |
J16_0414B28: | 別部ニ注シヌ同年十一月廿五日早旦熊谷次郞直實 |
J16_0414B29: | 與久下權守直光於御前遂一决是武藏國熊谷 |
J16_0414B30: | 久下境相論事也直實於武勇者雖施一人當千 |
J16_0414B31: | 之名至對决者不足再往知十之才頗依貽 |