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J2310 円光大師行状画図翼賛 円智・義山 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J16_0405A01: したりけるついでに。承元二年十一月八日。上人の
J16_0405A02: 勝尾の草庵にたつね參じて。念佛往生の法門御敎訓
J16_0405A03: をかうふる時。上來雖説定散兩門之益。望佛本願意
J16_0405A04: 在衆生。一向專稱彌陀佛名の文を二たび誦し給て。
J16_0405A05: 往生せうせじは。わどのの心ぞ。一向に念佛せば。
J16_0405A06: 往生疑ひなしと。の給ひける御詞耳に留りて覺ける。
J16_0405A07: 後一向專修の行者になりにけり。上人御往生の後
J16_0405A08: は。ふかく善惠房をたのみ申けるが。結縁のため
J16_0405A09: に。四帖の疏の文字讀ばかりをうけ。遂に出家し
J16_0405A10: て。實信房蓮生と號し。西山に草庵をしめ。一向專
J16_0405A11: 念の外他事なかりき。
J16_0405A12: ●承元二年ハ土御門院即位十年也
J16_0405A13: ●公方ヘ參ヲ參勤ト云參勤シテ奉公ツトメ侍ルヲ
J16_0405A14: 勤仕ト云ナリ公方トハ天子ヲ申ナリ此ノ名ノ武家ニアルハ義滿公ニ始マル東鑑十六ニ
J16_0405A15: 正治元年十二月廿九日以小山左衛門尉朝政補
J16_0405A16: 播磨國守護職畢住國家人等相從朝政勤仕内裏
J16_0405A17: 大番摠可致忠節也同二年正月可勤仕京都大
J16_0405B18: 番之由被仰諸御家人和田左衛門尉義盛奉行
J16_0405B19: 之トアリ●ワトノハ釼ノ卷ニ和殿トカケリ盛衰
J16_0405B20: 記ニ和殿原●上人御往生ノ後ハフカク善慧房ヲタ
J16_0405B21: ノミトハ九卷傳ニハ上人ノ仰ニ依テ善慧房ニ見
J16_0405B22: 參ス時ニ善慧上人天王寺ニオハシケルトアリ●東
J16_0405B23: 鑑十八ニ元久二年八月七日依有宇都宮彌三郞賴
J16_0405B24: 綱謀叛風聞召小山左衛門尉朝政可追討之由
J16_0405B25: 被申同十一日賴綱狀獻相州義時是陳申不存
J16_0405B26: 謀計之由同十六日賴綱於下野國遁俗法名蓮生
J16_0405B27: 同出家郞從六十餘人十七日蓮生法師立宇都宮
J16_0405B28: 進發鎌倉雖參相州廣元御亭不對面給付結
J16_0405B29: 城七郞朝光獻髻是陳謝之餘也於髻者歷御
J16_0405B30: 覽之後所被預朝光略書トアリ九卷傳ニ法名ヲ
J16_0405B31: ツキ出家ノ形ナレトモイマタ念佛往生ノ道ヲシラ
J16_0405B32: ス熊谷入道ノ勸ニ依テ大番勤仕ノ時勝尾寺ヘ參リ
J16_0405B33: テト云此人歌道ニヨカリケレハ新勅撰以後ノ和歌
J16_0405B34: 集ニ蓮生法師カ歌トテ載ヌハ希ナリ新勅撰ニ世

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