願成寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
がんじょうじ/願成寺
一
福島県喜多方市上三宮町上三宮。叶山三宝院。福島教区№一三一。嘉禄の法難により奥州に流罪となった隆寛は、森(毛利)西阿に匿われ相模国飯山(神奈川県厚木市)に没し、身代わりとなった門弟実成房が隆寛の遺骨を迎えて奥州に一宇を建立したのに始まる。文禄年間(一五九二—一五九六)に荒廃したが、寛文四年(一六六四)会津藩主保科正之が再興し、木食行誉が中興となった。当地における長楽寺義の本寺であったが、元禄四年(一六九一)知恩院直末となった。往時は奥羽二州の僧侶が当寺で得度受戒するのを慣例としたという。本尊阿弥陀三尊は国重要文化財、善導像・法然像の版木は県重要文化財。
【資料】『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)
【参考】『福島県史』二一(福島県、一九六七)、『喜多方市史』一〇(喜多方市、二〇〇三)
【執筆者:𠮷水成正】
二
神戸市兵庫区松本通。上野山。兵庫教区№一一。天平年間(七二九—七四九)に行基が上宮太子作観世音菩薩を安置し観音寺と称した。その後、平清盛の福原遷都に際し寺名を願成寺と改め、法然の弟子住蓮をむかえ浄土宗に改めたという。建永の法難(一二〇七)で打ち首となった住蓮の首を、烏がくわえて落としていった所を住蓮坂と後の人がいうようになった。明治三五年(一九〇二)に住蓮坂にあったものを現在地に移転。
【資料】『蓮門精舎旧詞』一一(続浄一八)
【参考】『浄土宗兵庫教区寺院名鑑』(一九七四)
【執筆者:髙橋徹真】