—寛保二年(一七四二)一月二五日。体蓮社浄誉。担梁ともいう。清浄華院五〇世。享保一二年(一七二七)一二月より増上寺所化役者を勤めた後、同一七年二月に本所霊山寺九世となった。元文三年(一七三八)一一月、台命と勅請によって清浄華院に転昇した。寛保二年一月二五日に没した。
【資料】『清浄華院誌要』『本所霊山寺志』(共に浄全二〇)
【参考】宇高良哲「浄土宗触頭増上寺役者譜年次考」(『大本山増上寺史』大本山増上寺、一九九九)
【執筆者:石川達也】