天台の一心三観に心を寄せてする念仏のこと。天台では己心こしんと仏を別なものと見なさず、知礼はこの見解から約心観仏を説いた。日本の檀那院覚運(九五三—一〇〇七)は殊に『観心念仏』を著しているが、それに依れば、観心こそが即ち仏であり、念仏であるという。即ち一心三観の念仏によって、「阿弥陀仏」の四字に空仮中および三身即一仏の観法をそれぞれ配当し、その上で名号を称えることに心を運ぶことが肝要であるとしている。
【参照項目】➡一心三観、即心念仏、約心観仏
【執筆者:小林順彦】