生没年不明。法然の門弟。法然の四七日忌の法要で諷誦の役を勤めた(『四十八巻伝』三九)。また『没後遺誡文』には「但し弟子、多しといえども、入室の者僅に七人なり。所謂信空・感西・証空・円親・長尊・感聖・良清なり」(昭法全七八四)とある。『法水分流記』にもその名がみえるが、『七箇条制誡』にはその名をみることができない。
【資料】『没後遺誡文』、『四十八巻伝』三九(法伝全二五〇)
【参考】中野正明『改訂増補 法然遺文の基礎的研究』(法蔵館、二〇一一)
【執筆者:新井俊定】