胎生
提供: 新纂浄土宗大辞典
たいしょう/胎生
一
四生の一つで、母体から出る生まれ方。現代でいう哺乳類の生まれ方に当たる。Ⓢjarāyujaあるいはjarāyujā-yoni。『俱舎論』に「云何が胎生。謂わく、有情類の胎蔵より生ず、これを胎生と名づく。象・馬・牛・猪・羊・驢等の如し」(正蔵二九・四三下)といわれるように、胎生とは母体より生じることと考えてよいが、より厳密には、ここでの胎(Ⓢjarāyu)とは胎膜のことで、生き物が胎膜につつまれて生まれ出ることが胎生の正確な意味であると考えられる。
【参照項目】➡四生
【執筆者:石田一裕】
二
極楽に往生した人の中で、疑惑の心をもって往生した人の蓮華が開かず、見仏聞法できない状態を表現した語。四生中の胎生とは文字は同じだがその意味は異なる。『無量寿経』下に、「もし衆生あって、疑惑の心をもって、諸もろの功徳を修して、かの国に生ぜんと願ぜんに、仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了せず。この諸もろの智において、疑惑して信ぜず。しかれどもなお罪福を信ずるをもって、善本を修習して、その国に生ぜんと願ず。この諸もろの衆生、かの宮殿に生じて、寿五百歳までに、常に仏を見たてまつらず。経法を聞きたてまつらず。菩薩・声聞聖衆を見たてまつらず。この故にかの国土において、これを胎生という」(聖典一・二八〇/浄全一・三三~四)とある。これは曇鸞が『略論安楽浄土義』で「安楽国土は一向に化生の故に、故に知んぬ、実の胎生に非ざることを」(浄全一・六六八上)と述べるように、疑惑心をもって蓮華化生した往生人が、その疑惑心のために長い間蓮華が開かない状態を、胎生にたとえたものである。この説は後に辺地往生や懈慢国往生との関係でも論じられていくことになった。
【執筆者:曽和義宏】