秦氏
提供: 新纂浄土宗大辞典
はたうじ/秦氏
西日本に広く分布する秦人の伴造で、法然の母もその一族。『日本書紀』には応神一四年(二八三)弓月君が率いて百済から渡来したとするが、一般には機織や農耕に従事した新羅系の人びとといわれる。仁徳天皇の時代(三一三—三九九)に機織(秦)の姓を賜り、一族の一部が美作国久米郡錦織郷(岡山県久米郡美咲町)に留まった。錦織神社は秦氏の氏神で、美作の秦氏は秦豊永の子孫が続いた。法然の母を秦氏とする伝記の初出は信瑞の『黒谷上人伝』と推定されている。誕生寺の位牌には、「行年三十七歳 久安三年一一月一二日」とあるが、『知恩伝』上、『十巻伝』二では、法然が開宗した後、弟の観覚と共に上洛し、法然の草庵があった吉水のほとりに住んだという。源智造立阿弥陀如来立像胎内文書の「蓮仁等交名」(第一紙端裏書「遵西書写分」)には多くの秦氏の一族が結縁している。
【資料】『新訂作陽誌』二(山陽新報社、一九七五)、柴田実編『玉桂寺阿弥陀如来立像胎内文書調査報告書』(玉桂寺、一九八一)
【参考】平野邦雄「秦氏の研究—その文明的特徴をめぐって—」一・二(『史学雑誌』七〇—三・四、一九六一)、三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』(平楽寺書店、一九六六)
【執筆者:山本博子】