相即無相
提供: 新纂浄土宗大辞典
そうそくむそう/相即無相
極楽浄土の荘厳や仏の三十二相は、仏の智慧と無為法身(法性身)に基づいてあらわし出されたものであるという意味。曇鸞『往生論註』下の「真実智慧とは、実相の智慧なり。実相は無相なるが故に、真智は無知なり。無為法身とは、法性身なり。法性寂滅なるが故に、法身、無相なり。無相の故に能く相ならずということなし。この故に相好荘厳、すなわち法身なり」(浄全一・二五〇下/正蔵四〇・八四一中)という文言による。浄土の荘厳や仏の瑞相が有相となって示されるのは、仏が衆生のために真実の智慧と法身を具現化したのであり、ここで説かれる有相と無相は、一般的な対立の関係ではない。良忠は『安楽集私記』で「浄土の相を明かす。すなわち無漏の相と実相の相なり。無漏の相とは浄土の色相荘厳、すなわち無漏の相なり。二十九句荘厳のごとし。実相の相とは色相荘厳、すなわち無相法身に入るなり。一法句のごとし」(浄全一・七四二下)と説き、浄土の色相荘厳は、無漏および実相が仏力によって姿形をもってあらわれ出たものと述べている。
【執筆者:伊藤瑛梨】