—寛永一〇年(一六三三)六月二五日。聡蓮社存誉。増上寺一二世存応に師事して得度。三河国松応寺六世。慶長二〇年(一六一五)六月一七日に二条城で難易二道についての法談が行われ、その際理益は存応とその門下一二人と共に出席した。
【資料】『総系譜』中(浄全一九)
【参考】藤本了泰『修訂 浄土宗大年表』(山喜房仏書林、一九九四)、玉山成元『普光観智国師』(白帝社、一九七〇)
【執筆者:田中芳道】