止悪修善
提供: 新纂浄土宗大辞典
しあくしゅぜん/止悪修善
悪行をとどめ、善行を修めること。廃悪修善、止悪行善、断悪修善などともいう。定散二善の散善にあたる。法然は「廃悪修善はこれ諸仏の通誡なりといえども、当世の我らことごとく違背せり」(『諸人伝説の詞』聖典四・四七九)と止悪修善の難しさを強調し、凡夫は本願によってこそ救われるのだと説く。また「我が心の悪ければ往生は叶わじと申し合いたるが、やがて本願を疑うにてはんべるなり」(『往生大要抄』同三一三)と、人々が罪悪を問題視するために往生や本願を疑うことを心配する一方で、「悪を勧め善を止むる仏法はいかがあるべき」(同三一五)と造悪無礙を戒め、仏は悪人をも見捨てないが善人であればなお喜ぶと説く(『十二箇条問答』同四四七)。つまるところ「罪をば十悪五逆の者なお生まると信じて少罪をも犯さじと思うべし」(『黒田の聖人へ遣わす御文』同四二一)とあるように、念仏実践の上には本願の救いと止悪修善の問題意識が共に成り立つのである。
【参照項目】➡七仏通戒偈
【執筆者:齋藤蒙光】