教安寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
きょうあんじ/教安寺
一
川崎市川崎区小川町。一乗山究竟院。神奈川教区№八。天文二二年(一五五三)の起立で開山は乗誉教安。江戸後期には増上寺末の触頭寺院であった。安永二年(一七七三)三月、火災により本堂・庫裡が焼失したが、同六年一二月、一四世艶誉弁相によって再建された。また戦災によって被害を受けたが、昭和三五年(一九六〇)に再建された。境内には徳本の六字名号碑があり、本堂には永井白鷗が浄土の荘厳を描いた「無量寿経」と題する襖絵がある。
【参考】宇高良哲「浄土宗の触頭制度について」(『法然浄土教の綜合的研究』山喜房仏書林、一九八四)、『平成版浄土宗神奈川教区寺院誌』(神奈川教区教務所、二〇〇九)
【執筆者:沼倉雄人】
二
甲府市城東。甲福山安栖院。山梨教区№三。永正元年(一五〇四)便誉是椿(『甲斐国志』は提椿)の開山。是椿は徳川家康の曽祖父松平信忠の葬儀に当たり導師を勤めた人物。院号は信忠の諡号にちなむものである。往時は寮舎一六、末寺一四箇寺を有して隆盛を誇った。寺内に徳川家康の子仙千代の墓所がある。
【資料】『浄土宗寺院由緒書』上(『増上寺史料集』五)、『甲斐国志』七三(『甲斐叢書』一一)
【参考】『甲府市史』通史編第一巻原始・古代・中世(甲府市、一九九一)
【執筆者:𠮷水成正】