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宗歌

提供: 新纂浄土宗大辞典

しゅうか/宗歌

浄土宗宗綱』第九条に、「本宗の宗歌は、法然上人御作の和歌〈月かげのいたらぬさとはなけれどもながむる人の心にぞすむ〉とする」と規定されている。宗紋宗綱の中で規定される以前の大正四年(一九一五)から宗紋規程で規定されていたが、宗歌に関する規程は昭和四四年(一九六九)一〇月二日に改正された浄土宗宗綱第七条によって初めて規定された。その後、平成三年(一九九一)七月二六日の宗綱改正によって表記に変更があり現行の規定となっている。宗歌という概念は明治中期以降のものと考えられ、西欧諸国での聖歌や讃美歌にならって、讃仏歌や仏教唱歌が作られるようになった。現行宗歌の譜は明治三九年(一九〇六)仏教音楽会発行の梶宝順仏教唱歌集』に「各宗祖の歌」として、伝教大師円光大師、承陽大師、見真大師、日蓮上人空也上人和歌に同じ旋律が付けられている。この旋律は明治二〇年(一八八七)文部省発行『幼稚園唱歌集全』第二六『風ぐるま』(豊田芙雄ふゆ作詞、東儀季熙すえひろ作曲)の旋律と類似していることから、この譜の一部を使ったとの説もある。また天台宗宗歌とも旋律が同一であることなどから、この時期に各宗の宗歌に同じような旋律がつけられたと考えられる。宗歌となった和歌法然の真作といわれる一首で、『四十八巻伝』三〇には、「〈光明は遍く十方世界を照らし、念仏衆生を摂取して捨てたまわず〉の心を、月影の至らぬ里はなけれども眺むる人の心にぞ澄む(此の歌『続千載集』に入る)」(聖典六・四八二)と記されている。阿弥陀仏光明は全世界をあまねく照らし、どんな人をも救い取るという浄土宗の心髄を歌ったものであり、鎌倉時代に勅撰和歌集として編纂された『続千載和歌集』にも選ばれている。


【参照項目】➡法然上人の和歌宗紋


【執筆者:今岡達雄】