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宗慶寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

そうけいじ/宗慶寺

東京都文京区小石川吉水山朝覚院。東京教区№一六四。聖冏が武蔵国で初めて結んだ小庵がもと。徳川家康の側室茶阿局ちゃあのつぼね菩提所。聖冏は応永二二年(一四一五)礫川れきせん小石川)に草庵を定め、無量山寿経寺とする。慶長七年(一六〇二)家康の生母伝通院の逝去により、やや東南寄りの地に寺名も移り無量山寿経寺伝通院として整備され、もとの寿経寺は伝宝院と改名。元和七年(一六二一)茶阿局が寂すると、菩提寺となり法名の朝覚院殿明誉宗慶大姉から宗慶寺の名が採られた。その後寛文二年(一六六二)境内が御用地となり現在地に移転。当初境内極楽の井があり吉水と称され、霊水のゆかりから氷川神社の別当でもあった。


【資料】『小石川伝通院志』(浄全一九)、『〈文政〉江戸府内寺社書上』(『江戸浄土宗寺院寺誌史料集成』)


【執筆者:野村恒道】