一二~三世紀頃、生没年不明。光空とも呼ばれる。法然の門弟。日野宗光の息子。宗慶には子がいて、娘は後鳥羽院に仕え、息子の業茂は、宗慶の兄弟の宗業の子となった。宗慶は、仁安三年(一一六八)の法隆寺の維摩会で竪義りゅうぎをつとめ、得業となる。そののち、元久元年(一二〇四)の『七箇条制誡』に、一二番目に署名があり、少なくともこの頃には法然に帰依していたことが知られる。法然の門弟には同じ日野家の出身の禅寂がいる。
【資料】『尊卑分脈』(『新訂増補国史大系』五九)
【執筆者:角野玄樹】